第1次大戦の開戦からちょうど100年で、フランスは「回顧」モード一色だが、この大戦を過去の出来事としてではなく、「現実」として戦い続けている人たちが、実は存在する。
パリ北駅の近くを歩いていると、駅舎の前に「不発弾処理班」という警察のワゴンが停まっていて、何やら騒然としていた。あとで新聞を読むと、オーストラリア人の夫婦が、火薬が入ったままの当時の砲弾の弾頭を持ってユーロスターに乗って英国に渡ろうとして税関で御用になったという。こまったお土産を買う人もいたものだ。
ヴェルダン攻防戦とならび無数の死者を出した「ソンムの戦い」。その激戦地となったピカルディ地方には、今でも地下わずか30センチの深さに不発弾が眠っている場所がある。当時の作戦図などをもとに、不発弾の位置を特定し、処理を行っているのが、INRAP(国立防災考古学研究所)というソンム県の不発弾処理班だ。
クーリエ・ピカール紙によると、ソンム県内で見つかった不発弾は、2012年だけでも約600トン。多くが考古学の発掘調査や農作業の途中で見つかったものだ。不発弾は、暴発しないように現場で信管を抜くなどの安全措置を施すが、処理工場で完全に破壊されるものは、そのうちの1%にもみたないという。
不発弾処理のさらなる悩みの種は、陸だけでなく河川や沼の底に沈んでいるものもあり、水中での作業になるということ。そして第1次大戦が毒ガスなどの化学兵器を使用した史上最初の戦争だったという事実も忘れてはならない。
幸いにも、ピカルディ地方の運河で見つかった不発弾処理では事故はなかったというが、隣のパ・ド・カレ地方では、化学兵器の処理作業員が病院に収容される事故が3件起きている。
不発弾処理班を呼んで正式な処理をすると建設作業などが遅れてしまう。だから自分で処理してしまう人もいる。処理班が畑に空いた異様な穴に気づいて路肩を掘ると、農場主がこっそり自分で脇にどけていた不発弾が出てきた、などといった話もある。INRAPでは定期的に調査を続け、県も勝手に対処せずに処理センターに通報するよう県民に呼びかけている。
一説によると第1次大戦では13億発もの砲弾が使われたというが、そのうちのどれだけが不発弾として埋没しているのかは分かっていない。また20年後に起きた第2次大戦の不発弾も多く残っている。安心して農作業や考古学調査ができる本当の意味での「戦後」が来るのは、一体いつになるのだろうか?(康)