プレイエルピアノの 200年の歴史に幕。

 11月12日、プレイエル社が今年末で閉鎖するニュースが報道された。1807 年創立以来2世紀間、ピアノメーカーとして世界に君臨してきたプレイエルが日本・中国・韓国産ピアノとの競争に勝てず200年の歴史に終止符を打つ。
 プレイエルピアノの生みの親、イグナツ(仏名イニャス)・プレイエル(1757-1831)はウィーン郊外に生まれ、ハイドンに師事する。1789年ストラスブール大聖堂オーケストラの指揮者となりモーツァルトとも交流。プレイエルは40以上の交響曲や70曲以上の2重、4重、8重奏曲、オペラ2曲など多くの作品を残す。プレイエルはフランス革命から逃れるため1791年に英国に渡る。帰国後ルジェ・ド・リルによる国歌マルセイエーズの作詞・作曲に協力している。1797年、オペラ街に楽譜出版社を設立。1807年、ピアノの製造を開始。初期のピアノはショパンを始めドビュッシー、サン=サーンスも愛用した。
 息子カミーユ(1788-1855)も作曲家だが、ジョゼフィーヌ皇妃や欧州の宮廷、サロンにプレイエルピアノを広め輸出にも努める。1834年には200人の作業員により年間1000台を生産するまでに発展した。なかでも画期的躍進を遂げたのは、エンジニア、ギュスターヴ・リヨン(1857-1936)によるピアノの音響改良だった。彼は演奏会場の音響効果も手がけるようになる。
 1927年リヨンは、フォブール・サントノレ通り252番地にアールデコ様式のサル・プレイエル(1913席収容)を設立したが、1929年の世界大恐慌でプレイエル社は倒産し、クレディリヨネ銀行が買い取る。リヨン死後、ピアノプレイエルとサル・プレイエルは分離された。同銀行が1998年サル・プレイエルを売りに出したとき、事業家 ユベール・マルティニ(アルトラン・テクノロジー社共同設立者)が、ピアノ生産部とサル・プレイエルを買収した。工場は1961年から96年までドイツに移された後、南仏のアレス市に移転し、さらに2007 年、以前(1861-1961)いたパリ北部サンドニ県に戻った。
 現在、国営となったサル・プレイエルは、パリ管弦楽団とラジオフランス交響楽団の本拠地として、ラ・ヴィレットにある国立音楽センター、シテ・ド・ラ・ミュージックに所属する。
 クラシック教育が先細りするなかで国内のピアノ販売台数は1980年の4万台から2012年には電子ピアノ8万台に対し1万台に減少。プレイエルピアノも、90年代に年間生産台数2000台だったのが現在は社員14人で25 台しか生産していない。名デザイナーによる4万〜20万ユーロ台の最高級ピアノでしのぐしかない。1台を完成するには20部門の技師が5千個以上のパーツの製造から始め、最低24カ月はかかるという。
 プレイエルピアノは、2007年に「生きる国有財産」という品質保証ラベルを授与されている。日本でなら歴代の国宝級工芸品に当たるのだろう。200年間、世界中でフランスの名品として愛されてきたプレイエルピアノが過去の文化遺産、アンティークになろうとしている。(君)

 

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