フランスで過ごした幼少期と大学生活。

スロベニア人の友人と。ルーブル美術館の年間パスを2人で購入してよく行っていた。
スロベニア人の友人と。ルーブル美術館の年間パスを2人で購入してよく行っていた。

◎島田佳那(臨床心理士、東京都)


 現在は心理相談員として働く島田さんは、これまでに2度、フランスに長期滞在した。

 1度目は、2歳から5歳の間。父親が報道関係の仕事でパリに転勤になり、両親と3人でパリに渡った。まだ小さかったため、簡単なフランス語の幼児語でことたりていたし、日本人の子どもたちとよく遊んでいた。3年間過ごした後、家族と一緒に日本に戻った。

 2度目は学生時代。高校3年生の夏、父親が再びパリへ転勤することになった。このときには家族は5人、全員が迷わずパリへ行くことに賛成した。渡仏は翌年の春、ちょうど島田さんの大学入試と重なった。父親の任期は4年くらいだったが、島田さんは1年ほどで日本に戻るつもりで、大学は仏文があり単位交換で留学できるところを受けた。翌年、入学式に出るとすぐに留学扱いで、フランスへ。

 かつて住んでいたとはいえ、最初はフランス語がまったくできなかったので、語学学校に通った。アリアンス・フランセーズ、パリ・カトリック学院、そしてソルボンヌの文明講座と、徐々にレベルをあげながらフランス語を学んだ。

 そのうちに、学校の外国人の友人たちや、ソフトボールを通じて知り合ったフランス人たちとふれあううちに考え方や感覚が違うことが面白いと思いはじめた。そして心理学を勉強しようとフランスの大学に行くことに決めた。フランス語の試験を受け、サン・ドニにあるパリ第8大学に入学。日本の大学はこれを機会に退学した。

 フランスでの大学の勉強は大変だった。最初は授業のポイントがわからず、ICレコーダーで3時間もある授業を録音、家に帰ってからそれを聞き直した。よりよく理解するために日本語でも参考文献を読んだ。内容が理解できるようになってからは、友人にノートを見せてもらい、ノートの取り方のコツがわかるようになった。多くの友人、なかでもスロベニア人の優秀な女の子に助けられた。「その子がいなかったら卒業はできなかったでしょう」

 3年間でLicenceを修得し、日本に戻ることにした。それ以上パリにいることはあまり考えなかった。2007年、日本に戻った夏に、たまたま読んだ遊戯療法に関する弘中正美先生の本に感銘を受け、臨床心理士を目指そうと、弘中先生がいる明治大学の大学院に進んだ。

 現在の仕事はフランスと関係がない。今もこれからも、フランスとの関わりはフランスの友人たちとのやりとりだ。18歳からの5年間を過ごしたフランスでは、いろいろな国籍の人びとと机を並べたことや、大学で学んだ社会心理学などから、いろんな視点から物事を捉えられるようになった。

 パリを離れること、とくに友人たちと別れるのはつらかったが、いまはインターネットがあるからつながっていられるし、折に触れプレゼントなどのやりとりをしたり、これからは旅行で訪ねる楽しみもある。ただ親しんだ街並みが見られないことは少し寂しい。特に懐かしいのは、大学生活とゆかりがあるパリ第8大学のキャンパスや、カルチェラタン、ポンピドゥーセンター、通称ボーブールの図書館、パンテオンの横のサント・ジュヌヴィエーヴ図書館だ。(樫)


Après deux séjours en France

SHIMADA Kana, Psychologue, Tokyo

Kana travaille à présent comme conseillère psychologique à Tokyo après avoir eu l’opportunité de vivre à deux reprises en France.

La première fois, ce fut entre 2 ans et 5 ans. Son père étant muté à Paris, elle y a vécu avec ses parents. Puis, la seconde fois, plus de 10 ans après. Son père est de nouveau nommé dans la capitale où, de nouveau, toute sa famille est repartie. Alors, Kana a commencé par apprendre le français dans différentes écoles de langue. C’est en rencontrant des personnes d’origines diverses qu’elle s’est intéressée à la psychologie avec pour projet d’étudier dans une université en France. Mais suivre les cours à Paris VIII n’a pas été facile. Elle a dû commencer par enregistrer les cours qui duraient trois heures ! pour les réécouter la nuit de retour chez elle. Et pour mieux assimiler les matières du programme, elle s’est astreinte à lire également des œuvres en japonais. Au bout de trois années, elle a obtenu sa licence, grâce à l’aide de beaucoup d’amis, dont une slovaque très intelligente.

Avec une pointe de nostalgie, ce qui lui manque actuellement, ce sont surtout les amis, et les endroits qu’elle fréquentait, comme Paris VIII, le Quartier Latin, les bibliothèques de Beaubourg et de Sainte-Geneviève…


 

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