◎小川奈々(料理人、藤沢市)
小学生の頃からフランス料理の美しさにあこがれていた小川さんは、高校を出ると調理師専門学校へ進んだ。いつかは本場フランスで料理を学ぼうと決めていたが、卒業後は、しばらくレストランで働き、その後、代官山のル・コルドン・ブルーで本格的にフランス料理の勉強を始めた。
そしてパリのル・コルドン・ブルーに行くことになるが、始めは、フランス語は挨拶程度しかできなかった。まずは語学の勉強もかね、美食の都リヨンにたどり着いた。2003年のことだった。
当初の予定では、一店舗くらいでスタージュを経験したら日本に戻ろうと思っていたが、フランス料理の奥深さに魅せられ、8年間フランスにいることになる。
パリのル・コルドン・ブルーを出てからは、フランス外務省の厨房(ちゅうぼう)晩さん会担当のスタージュから始まり、星付きのレストランや人気ビストロで修業を続ける。6年ほどで四つの厨房を経験した。それも「若いうちにさまざまなレストランの味を学ぶことが大切なことだと思った」からだ。レストランでの仕事の他にも、ワイン農家やチーズ農家にも積極的に研修に行った。またパリ国際農業見本市やパリ日本文化会館での料理デモンストレーションの講師も務めた。さらに将来レストラン関係の書籍を出版することを目指し、数多くの人気店を取材して、さまざまな知識と情報の収集に努めた。
「フランス料理のテクニックや盛り付けの美しさに魅せられた」という小川さん。ジビエなど、日本ではなかなか入手しづらい食材を数多く扱えたことも刺激となった。フランス流の働き方も勉強になった。
「早く終わった後は、シェフが勉強のためにお店のワインや珍しい食材を試食させてくれることがよくありました。厨房の仕事は厳しいこともありますが、そんな楽しみをくれる心遣いがとても嬉しかった」
じつは、小川さんには渡仏したときから、気軽に本場のフランス料理を学べる料理教室を開きたいという夢があった。「料理教室は自分が楽しく、人に喜んでもらえる仕事だと考えていたから」という。渡仏して8年、自分の中で、ひとつの区切りがついたので、2010年に帰国することにした。
今は、1クラス5人までの少人数制で、ビストロ料理とパリのお惣菜料理を教える二つの教室を開いている。また料理アドバイザリーシェフとして、食品メーカーのメニュー開発にも力を発揮している。さらには執筆活動やTV出演など幅広く活躍している。
将来は、フランスのワイン農家や、マルシェをまわり、そこでの食材を使って料理をするツアーなども企画したいという。これからが楽しみの若きフランス料理人だ。(樫)
ビストロ料理教室アトリエ・ルー・グルーズ
http://ameblo.jp/cuisinierenana/
パリのお惣菜料理教室アトリエ・ラパン
http://ameblo.jp/atelier-lapin-chigasaki/
『料理人が選んだパリのとっておきビストロ・レストラン』小川奈々、吉田 菊次郎 旭屋出版 1050円(税込)
そしてパリのル・コルドン・ブルーに行くことになるが、始めは、フランス語は挨拶程度しかできなかった。まずは語学の勉強もかね、美食の都リヨンにたどり着いた。2003年のことだった。
当初の予定では、一店舗くらいでスタージュを経験したら日本に戻ろうと思っていたが、フランス料理の奥深さに魅せられ、8年間フランスにいることになる。
パリのル・コルドン・ブルーを出てからは、フランス外務省の厨房(ちゅうぼう)晩さん会担当のスタージュから始まり、星付きのレストランや人気ビストロで修業を続ける。6年ほどで四つの厨房を経験した。それも「若いうちにさまざまなレストランの味を学ぶことが大切なことだと思った」からだ。レストランでの仕事の他にも、ワイン農家やチーズ農家にも積極的に研修に行った。またパリ国際農業見本市やパリ日本文化会館での料理デモンストレーションの講師も務めた。さらに将来レストラン関係の書籍を出版することを目指し、数多くの人気店を取材して、さまざまな知識と情報の収集に努めた。
「フランス料理のテクニックや盛り付けの美しさに魅せられた」という小川さん。ジビエなど、日本ではなかなか入手しづらい食材を数多く扱えたことも刺激となった。フランス流の働き方も勉強になった。
「早く終わった後は、シェフが勉強のためにお店のワインや珍しい食材を試食させてくれることがよくありました。厨房の仕事は厳しいこともありますが、そんな楽しみをくれる心遣いがとても嬉しかった」
じつは、小川さんには渡仏したときから、気軽に本場のフランス料理を学べる料理教室を開きたいという夢があった。「料理教室は自分が楽しく、人に喜んでもらえる仕事だと考えていたから」という。渡仏して8年、自分の中で、ひとつの区切りがついたので、2010年に帰国することにした。
今は、1クラス5人までの少人数制で、ビストロ料理とパリのお惣菜料理を教える二つの教室を開いている。また料理アドバイザリーシェフとして、食品メーカーのメニュー開発にも力を発揮している。さらには執筆活動やTV出演など幅広く活躍している。
将来は、フランスのワイン農家や、マルシェをまわり、そこでの食材を使って料理をするツアーなども企画したいという。これからが楽しみの若きフランス料理人だ。(樫)
ビストロ料理教室アトリエ・ルー・グルーズ
http://ameblo.jp/cuisinierenana/
パリのお惣菜料理教室アトリエ・ラパン
http://ameblo.jp/atelier-lapin-chigasaki/
『料理人が選んだパリのとっておきビストロ・レストラン』小川奈々、吉田 菊次郎 旭屋出版 1050円(税込)
La cuisine française de mes rêves OGAWA Nana, cuisinière, Fujisawa
Dès son plus jeune âge, fascinée par la beauté de la cuisine française, Nana avait l’idée de se rendre, un jour, en France pour y découvrir tous ses secrets. A sa sortie du lycée, elle commence par suivre des cours dans une école de cuisine. Puis, pour améliorer sa technique, elle s’inscrit dans la fameuse école du «Cordon Bleu» de Tokyo pour finalement quitter, en 2003, le Japon pour la France.
Au départ, elle avait prévu d’y rester 2 ou 3 ans, le temps d’effectuer au moins un an de stage dans un resto, mais en fait « il y avait tellement de choses à apprendre ». Devenue une cuisinière expérimentée, elle passe les 6 années suivantes dans différents restaurants et bistros à Paris.
Après 8 ans de séjour en France, elle décide de rentrer au Japon. C’est qu’avant de venir en France, Nana avait bien un objectif précis: ouvrir un atelier de cuisine au Japon. Parce qu’elle pensait depuis toujours « C’est un travail avec lequel on trouve joie et plaisir, et qui donne le plaisir aux autres.»
Au départ, elle avait prévu d’y rester 2 ou 3 ans, le temps d’effectuer au moins un an de stage dans un resto, mais en fait « il y avait tellement de choses à apprendre ». Devenue une cuisinière expérimentée, elle passe les 6 années suivantes dans différents restaurants et bistros à Paris.
Après 8 ans de séjour en France, elle décide de rentrer au Japon. C’est qu’avant de venir en France, Nana avait bien un objectif précis: ouvrir un atelier de cuisine au Japon. Parce qu’elle pensait depuis toujours « C’est un travail avec lequel on trouve joie et plaisir, et qui donne le plaisir aux autres.»