4月の大統領選が近づくにつれ、サルコジ前大統領、ゲアン内相の右傾化が進んだことは記憶に新しい。それに歩調を合わせるかのごとく、ラジオやテレビで、時には極右に近づくような論陣を張っていたジャーナリストがエリック・ゼムール。
ゼムールは1958年、パリ郊外モントルイユ生まれ。両親はアルジェリアから引き揚げてきたユダヤ人で、父は救急車の運転手。パリ政治学院卒業後、政治家や高級官僚への登竜門とされる国立行政学院ENAを目指すが、2度入学試験に落ちて断念。1986年、日刊紙コティディアン・ド・パリの政治記者となる。1996年にはフィガロ紙に入社。2009年にフィガロ紙からフィガロ・マガジン誌に移り、今でも週一回辛らつな記事を書き続けている。著作も何冊かあるが、中でも大きな反響を呼んだのは、社会の女性化féminisationを批判した2006年出版の『Le Premier sexe 第一の性』。フェミニズム肯定論者はデマゴーグにすぎず、ポリティカル・コレクトネスに敏感なばかりにフランス社会の歴史を拒絶している。男性は生来、性的に力に訴える支配者であり、歴史的なある時期は、女性の役割をうまく定義することを知っていた、などと主張する。
口角泡を飛ばし、かなりおおざっぱな論理も顧みず相手に突っかかっていく話し振りは、テレビのトークショーで大受け。2003年以来、i>TELEで左派系ジャーナリスト、ニコラ・ドメナックと渡り合う『Ça se dispute』で活躍。2006年9月からはFrance 2の『On n’est pas couché』の常連となるが、ゲストの文化人に毛嫌いされることもしばしばで、昨年の9月には番組から降ろされる。
2010年3月6日、Canal+ の『Salut les Terriens』でゼムールは「両親が移民のフランス人は他のフランス人より、警察官のコントロールを受けることが多いが、ほとんどの麻薬のディーラーは黒人かアラブ人だからだ」と発言。これにとどまらず同日、France 2では「雇用者はアラブ人や黒人の雇用を拒む権利がある」と発言したから、人種差別反対のいくつかの団体が告訴する。2011年2月18日、パリ軽罪裁判所は、France 2での発言は「雇用の際の不法な人種差別を助長するもの」としてゼムールに罰金刑を下す。こんなゼムールにファンが多いことも事実だ。有罪判決を受けた半月後、ゼムールは民衆運動連合UMPのタカ派議員たちの集会に招待されるが、人種差別に関する法律を廃止することを説いてスタンディングオーベーションを受ける。
5月25日ラジオRTLの持ち番組で、ゼムールは、新エロー内閣の、フランス領ギアナ出身で黒人のクリスチアーヌ・トビラ法相にかみついた。「数日のうちにトビラは彼女にとっての犠牲者と虐待者を決めてしまった。女性、郊外の若者たちが保護すべき味方であり、白人男性が敵方なのだ」。RTLではゼムールにどんな処置をとるか考慮中だという。(真)