その昔、パリ市の中央市場があった頃にはエミール・ゾラの著作にもあるように『パリの胃袋』と呼ばれていたところ。パリの真中心であるこの界隈は地理的にも「パリのおへそ」である。その「おへそ」に住むファビアンさんはグラフィックアーティストである。
ポスターやイラストだけでなく広告の仕事も多いファビアンさんにとって、レアールに住むことはパリのどの地域に住むよりも人に会うチャンスが3倍あることが利点であるという。当然ながら友人たちが集まるチャンスも多いので公私共に常に大忙し。
メトロの乗り換えや買い物客、毎日とてつもない数の人々が行き交うところだが、そんなところに住むって一体どんな感じなのだろう。「ここはね、渦を巻いたパリの中心だから不思議な磁場なんだ」。ファビアンさんのアパルトマンから見渡せるサンジャック塔やイノセントの泉は何世紀にもわたってたくさんの出来事を記憶してきたもののみが放つ独特な妖気を秘めている。
つい数年前までレアールが市場だった頃をよく知る住民が近所に健在だったそうだ。ファビアンさんのシャツのアイロンかけをしていた近所のご婦人は、かつてレアール市場の肉屋さんで働いていたそうだ。そして彼女のご主人は、70年代までカンカンポワ通りでホテルを営業していたという。その昔カンカンポワ通りには娼婦がたくさんいて、ご主人経営のホテルは彼女たちの仕事場だったのだそうだ。現在コンテンポラリーギャラリーが並ぶその通りからはちょっと想像ができない図だ。彼らが亡くなり、昔を知る住民はほとんどいなくなったのだが、カフェ、バー、レストランで働く人々の下町的で、ギャバンの映画に出てくるような人間的な暖かいつながりは現在も存在するという。そういえば車両進入禁止の道が多いので、人と人の距離が短く感じる。ファビアンさんと一緒に歩いていると、ビックリするほどにご近所付き合いが感じられ、今までに見たことのないレアールの顔に出会えた。(久)