旧フランス植民地コートジボワールといえば世界一のカカオ産出国。2002年、バグボ大統領反対派によるクーデター以来、内紛状態に。05年に予定されていた大統領選挙が5年引き延ばされ昨年11月28日に行われ、再選をねらったバグボ前大統領は51.4%(憲法評議会認定の得票率:西部の57万票を無効に)に対しワタラ候補は54.1%(独立選挙委員会認定)。が、バグボ大統領は敗北を認めず大統領府に居座る。昨年12 月以来、国連・アフリカ連合、国際社会に新大統領として認められたワタラ氏は軟禁状態のホテル・ド・ゴルフを新政権司令部に。内戦が激化する中で住民約100万人が隣国に避難、仏特殊部隊リコルヌは4月に入って約1 万5千人の仏人在住者の退去・脱出作戦を開始。
米国で「仏版ブッシュ」とも呼ばれているサルコジ大統領にとって、チュニジア革命での仏外交の失点を取り返すためにもここが腕の見せ所。イラク戦争にこりているオバマ米大統領の警戒姿勢にもかかわらずリビアの独裁者カダフィ大佐反撃作戦のため「国連決議1975」(民間人保護の義務)をタテに安保理お墨付きの英仏米・国連・NATO軍が空爆を開始した(3/30)。バグボ大統領居座り問題を決着すべく、ジュペ仏外相は安保理の合意を得て、4月4 日から国連・英軍と共にリコルヌ特殊部隊によるミサイル攻撃を続け4月11 日、ワタラ新大統領の共和国軍がバグボ前大統領と敬虔なカトリック教徒シモーヌ夫人を逮捕した。
08年サルコジ大統領は「フランスはアフリカの警察官ではない」と表明したが、チュニジア、エジプトの反乱市民が実現したように自力で独裁者を追放できないでいる他のアラブ・中東諸国にも、リビアやコートジボワール同様に「決議1975」を名目にリコルヌ部隊を送り込むのだろうか。
バグボ前大統領は1979年、34歳の時、パリ第7大学で母国の社会・経済関係の博士論文を提出した元マルクシスト系学生で、帰国後イボワール人民戦線FPIを創立。一方ワタラ新大統領は90年代にウフェ=ボワニ政権首相、国際通貨基金IMF幹部を務め、テクノクラート(高級技術官僚)というイメージが強い。仏女性ドミニック・フォロルーとの結婚式はヌイイ市役所でサルコジ元市長が挙げたとか。ワタラ元首相はコートジボワールの水道・電気の民営化で、管理会社として仏ブイーグ社を選んだ。サルコジ大統領と親しいブイーグ社長は当然サルコジ夫妻(セシリア前夫人)をワタラ夫妻に紹介、「ニコラは世界で数少ない親友の一人」とワタラ大統領。2000年コートジボワール大統領選挙でワタラ候補は北部ムスリム地域出身のイスラーム教徒であり、純粋ジボワール人 ivoiritéでないとして候補名簿から外され、02年にパリに亡命した時も当時のサルコジ内相に保護される。反対派の目にはワタラ大統領はどこまでも「サルコジの友人」なのだ。
コートジボワールは歴代大統領の親仏政策により「イボワールの奇蹟」と呼ばれた高度経済成長を遂げた。90年代以降の内紛に終止符を打とうとするワタラ大統領の国民和解政策が民族・宗教間の和解にまでおよぶか…。(君)