Claude Chabrol 60本以上の作品でフランス社会に迫った。

 9月12日、映画監督クロード・シャブロルがパリで亡くなった。80歳。地方のブルジョワたちを中心に現代人のドラマを、ルノワールを思わせるレアリスムと、辛らつなユーモアでフィルムに焼き付けた。この、食道楽で人生をこよなく愛した監督の死を、リベラシオン紙は「フランスは鏡を失った」と題した。『アンダーカヴァー』などの傑作で知られる米国のジェームズ・グレイ監督は、「シャブロルは私のヒーローでした。彼の作品は、辛らつで切れ味よく、衝撃的なインパクトを持ちながらも、決して残酷ではなく、心に訴えかけるエモーションを持っているから」と賛辞を贈った。
 シャブロルは1930年パリに生まれる。父は薬剤師で、第二次世界大戦中はレジスタンスに加わり、薬局にユダヤ人たちをかくまう。叔父はヴォジラール通りにあった映画館主で、シャブロルは5歳くらいから映画館に通う。彼自身も薬学を学ぶが、1952年に金持ちの跡取り娘と結婚。翌年から、カイエ・デュ・シネマ誌で映画評を書き始める。この雑誌の仲間には、ゴダール、リヴェット、トリュフォーといった、後のヌーヴェル・ヴァーグの旗手たちがいた。1956年、妻の祖母の巨額の遺産を相続し、映画製作会社AJYMを設立する。
 1959年1月、ジャン=クロード・ブリアリ、ベルナデット・ラフォン主演で、シャブロルの処女作『美しきセルジュ』(ジャン・ヴィゴ賞受賞)が公開される。高感度のフィルムによるロケ撮影が主で、ヌーヴェル・ヴァーグ第一作とされることが多い。2カ月後には『いとこ同志』(第9回ベルリン国際映画祭金熊賞受賞)が公開され、興行的にも成功をおさめる。「みんな忘れているけれど、1959年の2月から6月にかけて、私は生き神だったんだ」。翌年公開された『気のいい女たち』では2番目の妻ステファンヌ・オードランを主演に起用。それ以降は、新しい表現や抒情を求めたヌーヴェル・ヴァーグの「若者たち」とはたもとを分かち、ヒッチコックの世界をフランスで探ったような、社会の暗部の苦い描写を続ける。この分野では、ジャン・ヤンヌという適役を得て撮った『Que la bête meure』(’69)や『Le Boucher』(’70)が傑作だ。
 シャブロルが、『ヴィオレット・ノジエール』』(’78)、『主婦マリーがしたこと』(’88)、『ボヴァリー夫人』(’91)、『La Cérémonie』(’95)、『権力への陶酔』(’06)などで撮り続けた、一見社会の犠牲者でありながらも、自らの人生観で力強く行動する女性像も魅力的だ。7本の作品に主演したイザベル・ユペールは、17日の葬儀で「私は『ボヴァリー夫人』の撮影中に母を亡くしました。クロードは、死者に生者をむさぼるままにさせてはいけないと、励ましてくれ、あの作品を母に捧げてくれのです」と声を詰まらせた。(真)

写真:左ユペール、右シャブロル。


 

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