「東京暮らしか、パリ暮らしか…仕事があればパリ、なければ東京」というヘミさん。こぼれるような笑顔の彼女は、劇団〈A La Place〉の舞台女優。一方、言葉少なめでシャイなヤニックさんは東大研究所の科学者。二人は2003年、東京で出会った。当時、舞台をぬって絵画モデルで生計を立てていた彼女だが、絵画講座の初日に遅れて飛びこんできたのが彼だった。「何この外人、遅刻してきて! と思ったけど、終るころには電話番号を聞いてくれないかなと願っていたの」といたずらっ子のように話す。思惑は見事に大当たり。数日後、新宿のタパス店でおちあった。「そのころはフランス語がてんでダメだったから、辞書片手で。閉店まで6時間も大笑いし、とめどなくおしゃべりしたわ」。1週間後、ヤニックさんは彼女を山登りに連れだす。雪の中を9時間歩く山越えが次のデートだった。二人はカムチャッカ半島へ1カ月間、キャンプしながら旅したこともある。道のない山中を何十キロも歩き、クマに何度も遭遇し、チョコレート1個をとりあうケンカもした。この時「一緒に死ぬ覚悟」をしたのが、二人の愛を決定づけた。 2004年、ヤニックさんの任期終了。パリに戻る前、友人とアフリカ縦断の自転車旅行に。6カ月間、ヤニックさんはヘミさんに山のように手紙や絵葉書を送り続ける。そしてパリで一緒に暮らそうと説得。2006年、彼はパリの研究所に戻り、彼女は新天地で女優活動を試みた。しかし想像以上に壁は厚く〈intermittant(1年間で舞台に出た日数が規定に達すると舞台に立たない時でも手当が出る)〉の枠には程遠かった。ヘミさんは年に2回、里帰り公演を続ける。10区に大きなロフトを購入し、二人で部屋を大改造。下宿屋を営んだこともある。でも彼女にとって演劇は不可欠だ。昨年、ヤニックさんの東京転勤の直前、パクス協約を結ぶ。「日本に住むなら何の利点もないけど、彼女がフランスで自由に活動するには必要だったんだ」。今後どちらに住みたい? との質問に、「僕はどちらでもいいよ。職はあるから」という彼に、彼女はつけ加えた。「いつか子供ができたら、フランス生活を選ぶかな」(咲) これから相手に期待したいことは? 前回のバカンスは? 夢のバカンスは? 最近、二人で出かけた映画は? お気に入りのレストランは? カップルとしての満足度を5つ星でいうと? |
ヤニックさんのアフリカ縦断旅行記。ヘミさん宛ての手紙、ヤニックさんの手によるデッサン。 Aux Sources du Maicà。 |