「私はまずミュージシャンで歌手です。私がやっていることで好きになってもらいたい。私のイメージとかキャリアとかいったことから、常に距離をおくことにしています」と語るジュリアン・クレール(62)だが、12月14日にグレヴァンろう人形館入りした。
ジュリアン・クレールは、1947年10月4日、パリ19区で生まれる。本名はポール=アンリ・ルクレール。父はユネスコに勤務する高級官僚、母はグアドループ出身で音楽の素養があり、幼いポール=アンリにピアノの手ほどきをした。彼が2歳の時に父母は離婚したが、表面的にはなに不自由のない少年生活を送った。学校の成績も優秀でバカロレア取得後、エリート校の政経学院(Sciences Po)の入学試験を受けるが落ちてしまう。これが彼の人生の転機となり、以降ジュリアン・クレールと改名し、音楽への道を歩むことになる。
1968年初アルバム『Julien Clerc』を発表。翌年、オランピア劇場でジルベール・ベコーの前座で歌っているところをスカウトされ、反体制ロックミュージカル『ヘアー』のフランス公演の主役に抜てきされる。その甘い容姿と独特の歌いぶりは、たちまちのうちに女性ファンの心をとりこにしてしまう。その後は、名作詞者エチエンヌ・ロダ=ジルと組んで『La Californie』、『Ce n’est rien』、『Niagara』などのヒット曲を飛ばし、クレールならではの、親密でリリカル、どこか謎を秘めたような世界を作り上げていく。41年の歌手歴でこれまで21枚のアルバムを発表している。
歌の内容は『Souffrir pour toi n’est pas souffrir』、『Femmes…je vous aime』のように女性への愛を歌いあげたものがほとんどだが、実生活はどうかというと…『ヘアー』出演中に知り合った歌手フランス・ギャルと1974年まで一緒に住む。別離後、女優のミュウ=ミュウに恋し同居、1978年には娘のジャンヌが生まれている。1981年に別居。1985年にはフランスチャンピオンにもなった騎手ヴィルジニ・クプリと結婚し、二人の子供を持つ。現在は、映画監督のエレーヌ・グレミヨンと住んでいる。昨年9月には息子のレオナールが誕生。
ジュリアン・クレールは、派手にマスコミに登場はしないが、かなり以前から人道支援活動に援助の手を差し伸べていて、2003年には、国連HCR協会のためにシャンソン『Partir』の版権を譲っている。
最近のリベラシオン紙でのインタビューで「観客の目に自分が弱ったと見られるのは我慢できないだろう。もしそう感じる時がきたら、私が20歳の時にそうだったように無名の存在に戻るだろう」と語っているが、まだまだ衰えを感じさせない62歳だ。(真)
写真:今年発売された “Best of”(Emi France)。