「長年、同じ場所にいると、知らないうちに、村的な狭い社会に満足してしまいがちで、それは危険なこと。いったん環境を変えて、その世界を俯瞰してみたくなったんだ」と語るのは、2カ月前にアベス界隈の住居を引き払ったディディエさん。もともと芸術家を目指して、レンヌ大学では造形芸術を専攻。その後、級友でバンド仲間のフィリップ・カトリーヌの誘いでパリに上京、友人たちが多く暮らすこの地区を迷わず選択した。1998年にはデビューアルバムを発表するが興行面ではいまひとつ。レコード会社の販売主任を務めつつ、音楽活動を続けた。 ディディエさんの暮らしたパリには、旧きよき香りが漂っていた。界隈の住民は顔見知りで、いつもの場所にいつもの顔ぶれが揃う。サクレ・クール寺院の裏手、階段小路モーリス・ユトリロ通りの高台カフェ、ピカソが『アヴィニョンの娘たち』を描いたアトリエ、洗濯船のあったエミール・グドー広場など、出逢いと別れのエピソードが詰まっている。「音楽や演劇界のアーティストが多いアベス界隈には、下町のちょっと緩くて、独特の自由な雰囲気がある。そんなユートピアっぽい空間が気に入ってたんだけど…」。しかし物価の高騰、仲間内のぎくしゃくした関係や雑音に食傷気味で、将来の不安を感じていた。「じつをいうと僕の状況では、まだ〈アンテルミッタン〉の資格には手が届かなくて、とても不安定な生活を送っているんだ」。5年前から、木板にくるみ染料と、墨を使った絵画の連作『大地と国境』を描き始め、新分野を試みる。ただ制作活動には「どうしても完全な静寂と、あと一部屋分のスペースが必要だった」 ディディエさんが選んだ土地は、パリ南東のマルヌ河岸の近隣。絵画的な風景が美しいカワセミ島へも歩ける距離だ。「パリから近い本当の田舎生活を体験したかった」。ディディエさんにぴったりの場所である。平日は制作に打ち込み、週末は友人たちを招くのが日課になりつつある。「面白いことに、右岸から左岸へ、セーヌ川さえ越えたがらない友人の多くが、こぞってやってくる。まるで田舎の休日を楽しむ感覚でね」。それってパラドックス? プチブル的な発想をシニカルに笑いつつ、「独自の軽さで、時に滑稽なまでの、〈ダンディズム〉を追求するのが目標」というディディエさん。この秋には紆余曲折を経て、個展の夢がかなうという。次なるステップが楽しみだ。(咲) |
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●Cafe Burq モンマルトル村の名物カフェで、地元アーティストの社交場。「ここはアベスの目抜き通りから一本入っただけなのに、いかにもディープな人間模様がある」とディディエさん。歌手のアルチュール・Hも女優のセシル・ド・フランスもみんな近所の顔見知り。土曜の晩は、グラス片手に談笑する人が道端にも溢れかえる。名物はカマンベールのロティ、グラスワイン(3€~6€)の選択も豊富で、食前の一杯に最適。 6 rue Burq 18e 01.4252.8127 18h~02h(料理は20h~0h)。日休。 |
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