花から花へ旨い蜜をすって舞う蝶のよう。
ピカルディー地方、ラン市で郵便配達夫になって、もうすぐ30年。きっかけは「ヒッピーっぽく(笑)自転車でヨーロッパを放浪していたけれど、21歳で子供ができたので、定職につこうと思った」。両親は工場で働いていたが、ディディエさんは屋内にこもる仕事は避けたかったし、郵便配達は、朝は早くても午後の時間を有効に使える、と選んだ。5年くらい前に試験は廃止され、履歴書と手紙を提出し、空きがあれば採用されるようになったが、ディディエさんは試験を受け、一年間嘱託として働いた後、「郵便配達人としての倫理を遵守する」と〈宣誓〉し、晴れて正規の郵便配達人となった。
グレーの郵便局の制服を着た局員も多かった当時、波打つディディエさんのロングヘアは異彩を放っていたが、今もそのスタイルは変わらない。「郵便配達夫は、あちらこちらで人と出会う。花から花へ旨い蜜をすって舞う蝶々のようだよ」。担当している区域に住む障害を持つ女性には、郵便口座から現金を引き出して届けたり、101歳のおばあちゃんには切手を届け、手紙を預かって発送を代行するなど、人々の信頼を得て関係を築ける充足感がある。かつて同じ区域の配達を18年間担当した時は、「住人や犬の名前、習慣、食事の内容なども知っていた。赤ん坊が生まれてから大人になるまでのおつきあいだった」。これが彼の言う「給料は少ないが、人との出会いという大きな報酬がある」この職業の最大の魅力だ。
「朝6時半から3時間ほどの屋内での仕分け作業は好きでない。あと、社会全般的に警戒心が強くなり、暗証番号の扉が増えて、住民にアクセスしにくくなったことも残念」。昔に比べて、いたずらも増えた。郵便受けのあるホールへの扉の鍵穴にガムが詰められ、鍵が使えず困ったりする。管理人さんが常駐するアパートも減少。配達で人と顔を合わせる機会が減ったのが淋しいという。
「ヨーロッパ全体の郵便事業の自由化の中でも、一歩先を行くドイツやイギリス、オランダなどと足並みを揃えるために採算が重視されるようになった。配達区域が広がったし、郵便局の新商品をすすめたりもしなきゃいけない」。ディディエさんがこの仕事を始めた時は、先輩と一緒に2日間の配達実習があったが、今は到底そんな余裕はないらしい。
社会観測にはもってこいの郵便配達、昨今気になるのは、人々が「物価が高い」と声を揃えて言うこと。社会が抱く不安は様々だが、現実的な問題だと感じるという。さて、ずっと気になっていた年末に郵便屋さんが届けてくれるカレンダー、いくら払えばいいのでしょうか?「5~10ユーロくらいの人が多いです。理想としては15か20ユーロくらいですが…。自分でカレンダーを買って配ります。人々の〈心づけ〉で僕らの薄給を補うという、古くからの習慣ですが、ユーロになってからは、心づけの額も減りましたねぇ」。配達中に、すれ違う人と挨拶し、歩道沿いの溝を流れる水や、通学中のはしゃぐ子供たちの姿を眺める。それがディディエさんの毎朝の楽しみだ。今日も「クモが巣を張るように」人と人を郵便物で結ぶべく、町を歩いている。(清)
ディディエさんは、オヴニーの編集部もあるフォンテーヌ・オ・ロワ通りを18年間担当していた。配達区域がジャン=ピエール・タンボー通りに変わってからまだ半年目だけれど、今やすっかり街の顔になった。郵便受けの前で自分宛の手紙を待っている人、彼が来る時間にタ イミングを合わせて降りてくる人…。
ベドュザイラさん(年金生活者)
「ムッシュー・キャスケット(ディディエさんがかぶっている帽子のこと)、お元気かい! ディディエは、いろんな請求書やら税金の申告書やらへんな物をいっぱい運んでくる。それにディディエの笑顔という幸福もね…」
ジェラールさん(印刷屋)
「おはよう! バカンスどうだった?ディディエとは音楽の話でよくうまが合うんだ。僕自身も趣味で楽器を演奏するし、お互い足を運んだコンサートの話をするよ。郵便配達夫として自らを誇りに思っている姿勢に惹かれる。大事なことだよね。同じ街にいて共通の話題もあるし、僕のように一日中工場にこもって働いている者にとっては、彼が郵便物を届
けてくれるのが、ひと時の息抜き…」
ペレイラさん
(管理人、表紙の写真の人)
「この建物のガルディアンになって、まだ2年しかたっていないけれど、わたしはとってもラッキーだわ。ディディエのような郵便配達の人がいる街で仕事ができるのだもの。そんなにご近所さんたちのうわさ話はしないけど、毎日会っているうちに自分たち個人の、いろんなことを話すようになって、今やすっかり友人同士よ。彼はここ11区生まれで、よくこのカルチエを知っているでしょ、通りでいろんな人から頻繁に声を掛けられておしゃべりしてる姿を見て、誠実な方だと思うの」
(インタビュー:麻)
カトリーヌさん
新米の郵便配達員は、地方からパリに一年間配属される制度がある。若かりしディディエさんとカトリーヌさんは同時にパリの同職場に配属され、出会った。以来、ふたりは仕事も生活も一緒。同僚の約10~15%が同業カップルとか。「うれしくない手紙もあるけれど、人は常に期待を抱いて郵便受けを開けるのよ。
自分の配達がそんなに待たれていることにも、やり甲斐を感じる」(清)