画面に漂う有機的な形体が詩を奏でるジョアン・ミロの作品。1917年から1934年までの作品240点がポンピドゥ・センターに集められている。 バルセロナ時代の作品には、セザンヌ、マティス、フォービスム、キュビスムなどの影響が見られる。だが、前衛芸術の自由精神に導かれながらもその表現方法に居心地悪さを感じ、ディテールを描き込む具象表現へ。1921年パリへ移るが、生活費に困り、バルセロナ南140キロにある両親のモンロチの農場に一時帰る。ここで制作した「農場 La Ferme」は、ミロがミロ自身になった最初の作品。画面全体を覆うディテール。現実を独特の色や形で厳密に彼の内面世界に変換させている。幼いころからカタルーニャの自然に育ったミロは、原風景の中で自分自身を見い出したのだろうか。 1923年、隣人アンドレ・マッソンを通して知り合ったアルトー、バタイユ、エリュアール、クノーらの詩人、文学者たちとの出合いから、ミロは絵画の伝統から離脱した。彼の触覚に触れた現実は一度溶解し、自然の本質だけが抽出される。彼の絵ではすべてのエレメントは記号化されるのであった。この時、ミロの新しい造形言語が確立された。以降シュルレアリストの画家として取り上げられるが、オートマティスムや幻覚状態(彼の場合は空腹からくるもの)を制作手段に取り入れていたとはいえ、視覚的造形表現と文学の違いははっきりと自覚していた。また個人主義のミロは、ブルトンを中心とするシュルレアリストのグループに名を列ねることも拒んでいたという。 ミロの関心は自然の本質に近づくことだった。そのため具象的になり得る技術を遠ざけ、形体をますます簡潔なフォルムに還元していく。1929年には「絵画を抹殺」するため、サンドペーパー、針金などの素材で、オブジェ、アッサンブラージュ、コラージュを制作。それは精神だけで本質に近づこうとする行為だった。1930年に絵画に戻ったときの、荒々しい線や形の凶暴ともいえる作品、またコラージュをもとにした18点の「絵画」シリーズは、行為そのものの力で形体を自由に表現する可能性を提示している。これらは絵画に新たな力を吹き込んだ。ミロは極限まで精神を自由に羽ばたかせることをやめない。(仙) |
ポンピドゥ・センター(火休)6月28日迄 |
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Galerie Tamenaga 1971年にオープンしたギャルリーためながは、シャンゼリゼに近い画廊街、マティニョン通りに広々とした展示スペースを誇っている。 ルノワール、ピカソ、ローランサン、フジタなど、印象派からエコール・ド・パリまでの作品を多く取り扱っている画廊だ。一番奥に展示されているフォービスムの画家ヴァン・ドンゲンの『三美神』が、新鮮に目に飛び込んでくる。 過去のアーティストの作品も素晴らしいが、現代作家の紹介にも力を入れている。 担当の森田さんにお話をうかがった。アイズピリ、バルドンヌ、ギアマン、フサロなどのフランス人画家や、佐野ぬい、智内兄助、Rikizoなどの日本人画家の作品を、日本、フランスで展示しているという。また、アメリカ人画家クリストファーの秀逸な作品にも出会うことができた。 企画展のスペースでは、現在はワイズバッシュ展、4月28日からはアンドレ・コタボ「ベニスの光」展が予定されている。(仙) |
18 av. Matignon 8e
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●Wout BERGER(1941-) 17世紀オランダ絵画を彷佛させる風景写真。環境破壊に脅かされる現代のオランダ。4/30迄 Galerie Polaris: 8 rue St-Claude 3e ●Palais de l’ideal, Franoiis GARAS ●Jean-Auguste INGRES(1780-1867) ●Picasso-Ingres ●Edward HOPPER, les annees parisiennes, 1906-1910 ●Paris 1400, les arts sous Charles VI ●Christian Courreges, les magistrats 法官服をまとうフランスと英国の司法官27人のポートレート写真。 4/24迄(日月休) Galerie Baudoin Lebon: 38 rue Ste-Croix-de-la-Bretonnerie 4e |
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