フランス映画の歴史の中で、〈Les Cahiers du Cinema〉は主要な役割を演じてきました。フランソワ・トリュフォーのように、後に有名な監督になる人たちも記事を書きました。ヌーヴェル・ヴァーグの起源は〈Les Cahiers du Cinema〉です、とも言えました。〈Les Cahiers du Cinema〉のお陰で、日本の映画はフランスで知られるようになりました。〈Les Cahiers du Cinema〉誌上で、大島渚など日本の監督についてのいい評論が掲載され、彼らの国際的なキャリアが始まりました。 だが、その〈Les Cahiers du Cinema〉は経済的に病んでいます。大衆映画が作家映画の領分に侵入し、作家映画を扱っていた〈Les Cahiers du Cinema〉の影響がだんだん少なくなってしまいました。アシェットやフィリパキなどの大出版社がわかりやすい記事掲載のフルカラーの雑誌を発行し、〈Les Cahiers du Cinema〉の発行部数はコンフィデンシャルなニュースレター並みになりました。フランス最強の日刊紙〈ル・モンド〉が〈Les Cahiers du Cinema〉の出版元を買い取り、広告宣伝につとめていますが、〈Les Cahiers du Cinema〉をピンチから救うことができません。〈Les Cahiers du Cinema〉の実状は、地震の被災地のようです。先週の月曜日にも〈リベラシオン〉紙の小さい記事の中で〈Les Cahiers du Cinema〉の大きな赤字と暗い将来が伝えられていました。もうすぐ、〈Les Cahiers du Cinema〉休刊という悪い知らせが載るかもしれません。 (クロード) |