レイモンさんは、パニョルの映画から抜け出たようだ。
サン・シャルル駅にTGVが着いたのが12時半。ホテルに向かいながら、お昼ごはんに入ったレストラン…アンチョビー入りのピーズ(ピザ)のおいしさもさることながら、隣のテーブルで食べていたレイモンさんは、マルセル・パニョルの映画から抜け出たような人物だった(1)。典型的なマルセイユ訛り、派手なジェスチャーで、話もどんどん大げさになり、とどまるところを知らない。ちょっと疲れました。
マルセイユといえば、フランスのサッカークラブでは唯一、欧州チャンピオンリーグ杯を獲得したOlympique de Marseilleを忘れるわけにはいかない(2)。記念館でもあるのでは、と彼らの競技場Velodromeに出かけてみたがガッカリ。貧弱な売店と優勝杯のコピーがいくつか飾ってあるだけ。その足でquai des BelgesにあるOM Cafe。壁にはOlympique de Marseilleを栄光に導いた名選手たちの写真が飾ってある。カウンターでは、ファンたちがパスティスを飲みながら、来シーズンの選手移籍予想などでおおいに盛り上がっていた。
「私の英雄は、
レーニン、毛沢東、イエス」
ル・コルビュジエが、彼の “citeradieuse(喜びに満ちた団地)” 理論に基づいて設計し、1947年から51年にかけて建設された団地は、Velodromeから遠くない。マルセイユの人が “la maison du fada(頭のおかしな人が建てた家)と名付けたくらいに当時としては画期的な団地で、暖房、防音、換気技術を総動員した17階建て。337のアパートがある。8階には食料品店、パン屋、ホテル。屋上がすごい。子ども向けのプール、保育園、ジョギング用トラック、小劇場!(3)
翌日は、マルセイユを見下ろしながら、守護しているNotre-Dame-de-la-Garde教会へ。巡礼なら急坂を歩いて登るところだろうが、quai des Belgesから観光客向けのチンチン電車に乗る方が楽。教会前広場からの眺望の素晴らしさ!内部の壁は、ex-votoと呼ばれる、遭難や戦争の悲劇を描いた絵馬や遭難船の模型で一杯だ(4)。このex-votoを見ながら数々の不幸を思い出すのだとか。
「まっすぐゴールへ!」というOMの合い言葉が見える。
バス83番のお世話になって、マルセイユっ子の浜として知られ、元旦には勇気ある人たちが海水浴を “苦しむ” というplage des catalansにも出かけてみた。28Fを払って浜に入ると、水が思ったよりずっときれいだし、風が強かったせいもあるのだろうが混んでもいない。三つのコートでビーチバレーの熱戦が繰り広げられていた(5)。
ホヤvioletを初めて食べて、その不思議な苦さのトリコになってしまったことも、いい思い出になった(6)。
(ダン)