《脚本》−この芝居で描かれるのは『白痴』の全てではなく、二人の男の会話を通して現れる「美しい」ナスターシアの存在である。一人は彼女を知っており、彼女の写真を持っている。もう一人は彼女を知らないが、写真の彼女の美しさに捕われている。後者は「自分は精神病だから結婚したくてもできない」と言うが、前者には「あなたは明日にでも彼女と結婚できるけれど、一週間たてば彼女を刺し殺すだろう」と言う。すべてはここから始まる。
《舞台》−脚本が、舞台に現れる二人の男と、舞台には現れない一人の女性の三点から成り、またこの芝居自体がドストエフスキーの原作、ゼノ・ビアニュの脚本、役者の演技という三つの層から成り立つように、舞台もまた「三次元的」だ。二つに分かれた観客席の中央にある舞台は、楕円形で中心が盛り上がっている。この立体感はあらゆる角度から使われる照明と、背後で流れたり時には強く鳴る音響によってさらに強められ、演劇の本質的質感を大いに引き出している。
《役者》−映画でも芝居でも、「精神を病む者」を演じるうえでおそらくドニ・ラヴァンの右に出る役者はいない。これまでのドニ・ラヴァンの芝居では、一人だけ「うき」すぎてしまうこともあったが、今回のヴァンサン・シュミットとの共演は大いに成功しているといえよう。同じ女性に惹かれる男たち、そして一人の女性をめぐって相反する二人の男が見事に演じられているのだ。
《ドストエフスキー》−ドストエフスキーの原作だが、この芝居が喚起しているのは、しばしば重たいとか悲壮と言われるドストエフスキー小説ではなく、「ドストエフスキー的世界」である。つまり、小説の「中に」描かれている世界ではなく、小説から生まれる世界、そしてこの芝居から生まれる世界、読者=観客の想像力の中に立ち上がる世界である。(岳)
*Odeon – La Cabane 36-38 quai de Loire 19e / 01.4441.3636. 30F〜120F
火−土 : 20h 日 : 15h 12/11日迄
● SAVANNAH BAY
かつて女優だった祖母を訪ねる孫娘は、老女の記憶を蘇らせようと昔の話をせがむ。出演した舞台の話、仲間の話、恋愛話と、老女は昔の思い出をたどっていく。
記憶は、老女のようにひっそりとはかなく、無理強いすると壊れてしまいそうだ。 時折老女が見せる苦悩の表情は、記憶が薄れたことや自分が年老いたことからではなく、思い出すということから生まれるものである。 老女にとって、自殺した娘は、触れることのできない「記憶」であり、そのタブーを犯すたびに、老女のいたずらっぽいあどけない表情に痛みの影が差す。そしてその老女の苦しみに気づかないかのように孫娘は昔話をせがみ、リュシエンヌ・ボワイエの「Parle-moi d’amour…」を復唱する。
老女役を演じるには、本当に経験を積んだ女優でなくては駄目だ、と原作者デュラスは言った。 マドレーヌ・ルノーが舞台で演じて有名になった芝居を、今回はジゼル・カサデシュスが演じ、実の娘でやはり女優のマルチーヌ・パスカルが共演する。 当年80歳のカサデシュスは老女か幼女かわからない澄んだあどけなさで、本人いわく「最後の舞台作品」を演じきる。 12/19日まで。
*Theatre du Rond Point 01.4495.9598
●Con Forts Fleuve / Boris CHARMATZ
前作では全裸のダンサーを登場させて話題をさらったボリス・シャルマッツは、若手で今最も注目されているコレオグラファーだ。物語性を排除した空間・時間の中で彼自身を含むダンサーたちの身体は、生きた肉体として、空間を占有する物体として、どのような表現をするのか。今作も期待される(音楽はOtomo Yoshihide)。多分野で様々な実験的な試みに参加するシャルマッツからは次世代の風が吹いてくる。もう無茶苦茶にカッコイイ!!! (仙)
12月9〜17日(15日休演)
*Theatre de la Cite Internationale:
21 bd. Jourdan 14e 01.4313.5060