殺人の共犯者として懲役20年の刑を宣告された。
” Ça a été un enchainement éffroyable (…) On a couru le long de la route vers une voiture de taxi qui était là.On devait rentrer au métro. Et on a pris le taxi.”
水も電気もないナンテールのアパートで生活していたオードリー・モーパン (当時22歳)とフロランス・レイ(当時19歳)は、1994年10月4日、強盗に失敗して逃亡中にナシオンとヴァンセンヌで警官を相手に銃撃戦を繰り広げ、人質にしていたタクシーの運転手と警官3名を射殺。モーパンも射殺された。9月30日パリ重罪院は、生き残ったレイに懲役20年の判決。 「一つの恐ろしい連鎖反応だったのです。道路に沿って走っていると 、そこにタクシーが止まっていました。地下鉄に乗るはずだったのですが、タクシーに乗りました」 そのタクシーがナシオン広場でパトロールカーに衝突。モーパンとレイはパニック状態に陥り悲劇が始まる。なお、弾道検査によれば、レイが放った銃弾はかすり傷しか与えていない。 内気でこわれやすい性格のレイと自信家でイデオロギーをそのまま実行に移す3歳年上の恋人モーパンとの組み合わせがこの悲劇を生んだ、と心理学者は分析。
レイは、刑務所内ではソクラテスやプラトン、ウィリアム・ブレイクなどを読み、演劇クラブなどにも参加する模範囚として認められている。
(真)