1968年とテレビ N° 416 1998-05-15 1968年の5月以前、フランスのテレビは情報相の支配下にあり、番組の内容まで情報相が直接決定していました。ニュース番組もジャーナリストがルポのテーマをあらかじめ政府に提出していたので、自発性が全然ありませんでした。1968年のフランスでは、テレビは言論の自由の正反対にありました。当時テレビの普及率は 41% にすぎませんでしたが、学生にとってテレビは政府のシンボルでした。 ですから、68年5月の運動が始まって、テレビ局のジャーナリストたちが政府の支配と断絶したいと思っている意思を表現したのは、信じられないことでした。ORTF といっていたフランス放送協会は、68年の学生運動と同時に燃え上がりました。ORTFでは毎日集会がありました。表現の自由とルポのテーマを自由に決定する権利を要求し、政府は譲歩せざるを得ませんでした。1968年からしばらく、フランスのテレビには自由の気運が満ちていました。ニュースやバラエティ・ショーも、この自由にあずかって一新しました。 だが、1998年の国営と民放テレビ局はこの教訓を忘れています。30年間でフランステレビは旧幣なものになりました。68年、テレビ局内で運動を指導したミシェル・ポラックは「今のテレビには革命が必要です」と最近発言しました。「1968年5月の運動で創造性が向上しましたが、30年後の今、その魅力を失ってしまいました」 (クロード) Recommandé:おすすめ記事 ジャン・グラヴァニさん Jean Glavany 英国からの牛肉輸入禁止措置の維持を主張してきた仏農相。 Lance Armstrong– ツール・ド・フランスに37歳でカムバック。 ドミニック・ヴォワネ Dominique Voynet 環境・国土整備大臣 Jean-Marie Gustave Le Clezio– 2008年度ノーベル文学賞作家、「断絶の作家」 〈エル〉が3000号に。 Germaine Tillion — 民俗学者のレジスタンスはまだまだ続く。