2015年パリ同時多発テロ裁判の判決が言い渡され、10ヵ月弱におよぶ「世紀の裁判」が幕を閉じた。実行犯の唯一の生き残りサラ・アブデスラム被告に「軽減不可能な終身刑」が下された。各被告に罪状に応じた量刑が言い渡されて公正な裁判だったと、メディアや原告の多くはおおむね判決を歓迎した。
パリ郊外スタジアム、パリ市内のカフェ・レストランとコンサート会場「バタクラン」で130人の死者、数百人の負傷者を出した仏史上最悪のテロの裁判は、原告1765人、弁護士330人、被告20人(うち6人欠席)。改修工事を施して550人を収容できる特別大法廷(別室含めば2000人収容)がシテ島のパレ・ド・ジュスティスに設置されて行われた。
実行犯10人のうち、スタジアムに実行犯3人を車で運んだ後、パリ18区のカフェで自爆テロを実行せずに逃亡した唯一の生存者である仏人アブデスラム被告、そしてテロを計画したウサマ・アタールほか過激派武装組織「イスラム国(IS)」の幹部5人(シリアで死亡と推定)の計6人に「軽減不可能な終身刑」が言い渡された。これは死刑のないフランスで最も重い刑で、通常の終身刑では18~22年後のところ、収監30年後でないと仮釈放申請ができず厳しく審理されるため、実質的な終身収監に近い。強姦・拷問を伴う未成年殺害や、警官・司法官の計画的殺害に適用され、1994年の導入以降、悪質な未成年殺害事件4件に適用された。アブデスラム被告の場合は、バタクランでの警官殺害未遂にテロ全体の実行犯の一人として加担したためと判決は判決の理由を示した。
テロ集団の一員として実行犯をパリに運んだモハメド・アブリニ被告は終身刑(仮釈放不可期間22年)、シリアから派遣されて車、住まい、資金など後方支援を担当した3被告に禁固30年(仮釈放不可20年)、テロのためにシリアから派遣されたがオーストリアで逮捕された2人に禁固18年、実行犯を車で移動させた3人に禁固8~10年。アブデスラム、アブリニ両被告を車で移動させたり、身分証明書を偽造した4人はテロ計画を知らなかったとみなされ禁固1~2年に。この4人は5~6年勾留されているため収監は解かれる。
アブデスラム被告の弁護士は25日の最終弁論で、バタクランにも行かず、人を殺していない被告を、実行犯に課すべき実質終身刑に処することは被告の行為を裁くのでなく、シンボルとして裁いているとして、求刑を厳しく批判した。同被告も27日の最終陳述で、自分を殺人者として裁くなら不公正を犯すことになると発言。被告は、公判初期はIS兵士を自認していたが、4月には犠牲者への謝罪を口にし、18区のカフェでは人道的な理由でテロを断念したと発言した。しかし、事件後に発見された彼の爆発物は起爆ケーブルが損傷し機能不能と鑑定されており、被告の主張の真偽はわからないままだ。
仏紙の報道によると、原告およそ100人を代表するある弁護士は、「判決が出て、過去から再出発できる感じがする」「量刑は適切であり、みんなが満足したと思う」と述べた。被害者や遺族が5週間にわたって当時を振り返る証言を行なったこと、事件の経緯をたどり、被告の陳述を聞いたことで、事件から6年半経って事件をやっと過去のものにできるという原告の発言も聞かれた。130人の命は戻ってこないが、生き残った人、残された人にとっては一つの区切りがついたということかもしれない。(し)