実業家、国会議員、大臣、プロサッカークラブのオーナー、俳優。そして法廷闘争に明け暮れたベルナール・タピ氏が、がんのため、10月3日にパリで死去した。享年78歳。仏メディアは波乱万丈の人生を生きたタピを「千の人生を送った男」と形容した。
1943年パリ20区生まれ。庶民階級の家庭に育ち、スポーツや音楽を好んだ。電気技師の資格を取り、テレビ受像機販売業を皮切りに格安家電販売店など様々な商売を手がけたが、70年代になると、会社再建を専門とする実業家の片腕になったのをきっかけに、企業再建ビジネスの仕組みとうまみを覚えたらしい。80年代初めから、倒産寸前の自転車メーカーLookを象徴的1フランで買って再建し売却益を得たりなど、企業再建事業を数多く手がけた(うまくいかなくて倒産させた企業もある)。自転車ロードレースチーム(La Vie claire)を創立して、85年のツール・ド・フランスで優勝させた快挙も遂げた。80年代後半にはテレビのバラエティー番組に登場して茶の間の人気者になり、アラン・ドロンに次いで最もセクシーな男性と評され、84年にはメディアの選ぶ「今年の男」に。86年には経営難に陥ったプロサッカークラブ「オランピック・マルセイユ(OM)」を1フランで買い、パパン、カントナ、バルテーズなど優れた選手をスカウトして再生させ、93年リーグ優勝に導いた。ところが、八百長試合が発覚し、タピは94年にOMを退き、96年には禁固8ヵ月の実刑判決を受けた。
政治家としてのキャリアはミッテラン大統領が国民に人気のあるタピに興味を抱いて1987年に面会したことに端を発する。ジャン=マリー・ルペン国民戦線(FN)党首がマルセイユから国民議会議員に出馬するのに対抗して、タピの同市からの出馬を後押し。タピは88年に見事当選し、96年まで議員を務めた。ミッテラン政権下で若者人気と大都市郊外への影響力を買われて92~93年に都市相になる。政治家としては一貫して極右FNを嫌ったのはよく知られている。
後に命取りになったのが、経営難だったアディダスの1990年買収だ。当時国営銀行だったクレディ・リヨネ(CL)の子会社から融資を受けて2億4500万ユーロ(現在の価値)で買収。ところが、都市相になったことからミッテランに要請されてアディダスの売却をCLに93年に依頼するが、CLは同社を売った後、残るタピの借金を他の会社を売ることで少しずつ返すというタピとの約束を破棄し、タピを破産に追い込んだ。タピはCLがアディダス売却時にペーパー会社を使って4億ユーロの利益を不当に得たとして告訴。長い係争の末、2008年に民間調停機関は、倒産したCLの資産を受け継いだ資産売却コンソーシアムつまり公的資金から4億462万ユーロをタピに支払うべきとの判断を下した。その民間調停の中立性に問題が浮上し、パリ控訴院は15年、タピにその賠償金の返還を命じた。民間調停の不当性に関する裁判が17年に始まる予定だったが、タピに皮膚がん、続いて胃がんが見つかり、治療のため裁判は延期され、19年に裁判で無罪となった。やせて白髪になったタピはテレビで法廷闘争への意欲を見せていた。タピの死で控訴審はなくなるが、死ぬまで闘う姿勢は印象に残っている。
OM八百長事件、アディダス以外にも多数の裁判に追われながらも、96年にはルルーシュの映画、4つの演劇、連続テレビドラマに2008年まで出演するなどして、俳優としての才能も見せた。
パリ生まれながら、OMのオーナーとして、マルセイユ選出の国会議員として、マルセイユ市民に「ボス」と慕われてきたタピはその地に埋葬される。OMのホームスタジアムの外壁にタピの写真の入った横断幕がかかり、OMファンや市民が大勢献花したほか、7日にはパリからそのスタジアムに棺が移され、8日には教会でのセレモニーが行われた。実業家としては「詐欺師」と揶揄されたりしたが、大銀行CLにかみついたタピに庶民は同情的だった。1日4時間寝れば十分で、退屈な生活を嫌ったと評されるタピは、まさに「千の人生」を生きた人なのだ。(し)