18世紀フランスの上流社会では、乳母に授乳や子育てを任せきりの母親がほとんどだった。そして、労働に追われる乳母たちは、子守りの手間をはぶくために幼子をしっかりと産着でつつんでしまった。
哲学者ルソーは、そんな習わしにメスを入れる。母親は自ら子どもに母乳を与えるべきだし、乳児の体の動きをさまたげるようなことはしてはならないのだと、その代表作『エミール』(1762年)の中で力説した。
ヨーロッパの思想界で知られたルソーの説く教育論には、多くの読者が関心を寄せた。19世紀に活躍した女性作家ジョルジュ・サンドの父親モーリスなどは、ルソーを敬愛する母親に育てられた結果、当時としては珍しく母乳で育てられている。
「あらゆる有用なことのなかでもいちばん有用なこと、つまり人間をつくる技術」(今野一雄訳)について書かれた実用書『エミール』で、ルソーは授乳中の女性にすすめる食事について詳しく述べた。「バターも塩も乳製品も火を通してはいけない。水でゆでた野菜は熱いまま食卓にだしてから味つけするがいい。肉なしの料理は乳母に便秘を起こさせるどころか、多量のそして質のいい乳を供給することになる」。
ルソーのこの説は、古代ギリシアの偉人で菜食主義者だったピタゴラスに多分に影響されているよう。ピタゴラス式の養生法については当時から賛否両論があったようで、ルソーは、「この重要な問題について」論議を戦わせるふたりの著名なイタリア人医師の名前を挙げている。
健康的な食事について諸説があふれて一般人がまどわされる現象は、今にはじまったことではないようだ。(さ)