フランス連帯の象徴、ピエール神父没後10年。

貧困者救済に生涯を捧げたピエール神父が亡くなって、今日でちょうど10年。レピュブリック広場では、神父が設立した慈善団体「エマウス」が、ピエール神父を讃え、今後も社会の弱者のための活動を続けていくことをアピールするイベントが行なわれている最中だ。社会派シェフ、ティエリー・マルクス(マンダリンオリエンタル総料理長)らも参加し、寒空の下、暖かいスープがふるまわれている。

ピエール神父は、1912年、リヨンの生糸商人の家に生まれた。19歳で托鉢修道会のカプチン・フランシスコ修道会に入り、第二次大戦中はレジスタンスに参加。戦後、ムルト=エ=モゼル県から選出されて国会議員になる。1949年、議員の手当てでパリ近郊に買った自宅を若者やホームレスに解放し「エマウス」と名付ける。入居者は自活手段として、廃品を回収・修理し販売。こうしたリサイクルで得た収入で別の家を建て、他の恵まれない境遇にある人びとを迎え入れるコミュニティーを作った。設立者は聖職者でも、無宗教・無政治の市民団体だ。現在は世界37カ国で活動が繰り広げられている(日本では1956年、神戸で初のエマウスが作られた)。

自ら清貧を生き、滞在許可証のない外国人、失業者、ホームレスなどに手をさしのべ、共に抗議行動をし、メディアを通じてエゴイスムや国の政策を厳しく批判し続けたピエール神父は、世論を動かし、時に腰の重たい政治家をも動かした。「フランス人が最も好きな人」アンケートでも、10年近くトップだったピエール神父は、肺感染症により2007年1月24日、パリで94歳で亡くなった。(六)


https://www.youtube.com/watch?v=qVyspn7nH1o

Mes amis, au secours! (友よ、助けてくれ!)
フランスが大寒波に襲われわた1954年の有名な演説(01: 38から)。 当時、ラジオで放送されたメッセージは、ピエール神父本人の声ではなかった。この録音は1993年に、神父本人が読むのを収録したもの。死者が続出する厳寒のさなか、ピエール神父は政府に対して10億フランを住宅建設に充てることを要求。政府は応じないが、パリ市民が行動に出る。ホテル経営者は1フロアをホームレスのために解放し、オルセー駅には寄付された15000枚の毛布がストックされ、メトロの駅はホームレスを迎え入れた。ピエール神父の呼びかけを耳にしたチャーリー・チャップリンは、神父に会い200万フランを手渡す。この市民による「良心の蜂起」の後、政府は100億フランを住宅建設に充てることを約束したのだった。


 

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