ジャン・ルーシュは、1941年24歳の時に、道路建設技師としてニジェールへ派遣され、そこで弔いの儀式に立ち会う。「素晴らしくそして恐ろしい儀式だった。これは書きしるすことはできない。フィルムにならおさめることができる」。この瞬間に映画作家ジャン・ルーシュが誕生。 1947年、ニジェール川を上りながら、中古で買った16ミリで処女作『Au pays des mages noirs』を撮り、1958年には、ナイジェリアの若者たちの生態を描いた傑作『Moi, un noir』で注目される。手持ちのカメラでキャッチされた映像は、これまでにない生命力に溢れ、「いちばん大胆でいながら慎みに満ちた作品だ。ここには真実がある」とゴダールはこの作品を観た時の感動を語っている。その後も、ドキュメンタリーあるいはフィクションで彼の「アフリカ」を撮り続ける。 1987年から1993年まではシネマテークの館長を務める。最近は人類博物館のコレクション保存に力を注いでいた。 そのルーシュが、2月18日夜、愛するアフリカ、ニジェールの北部で交通事故死。86歳。「彼は、アフリカの黒人たちを、彼らの文化に敬意を表しながら、初めて〈人間〉として撮影した映画監督だった」と、映画界の長老マノエル・ド・オリヴェイラは賛辞の言葉…。(真) |
“…merveilleuse et horrible cérémonie… Je me suis dit: cela ne peut pas s’écrire, cela ne peut que se filmer.” |