先の地方選(市町村・県議会)では、特に3月18日の決戦投票で左右両陣営の壮烈な攻防戦が繰り広げられた。
パリの戦場は”パリ燃ゆ”の凄まじさ。
77~95年シラク前パリ市長(現大統領)によって敷かれた”シラク体制”を引き継いだチベリ市長は、夫婦ともども多くの疑惑にまみれ、大統領にもRPR(共和国連合)にも見切られ除名されたあげく”造反”リストで立候補。これに対しRPRはセガン元RPR総裁にRPRの公式リストを担がせチベリ締め出し作戦を図る。右派同士のいがみ合いを尻目に自信と余裕をたくわえ、パリジャンのハートを捉えたのが、パリ市議員歴24年、壮齢50歳のベルトラン・ドラノエ社会党候補。
決戦投票では左派(31%)と緑の党(12%)が併合し選挙前の所有区6区(3,10,11,18,19, 20)に新しく6区(2,4,9,12,13,14)を制覇し計12区を獲得。右派はブルジョワ階級の最後の砦ともいえる8区(1,5,6,7,8,15,16, 17)に激減。ついに77年パリ市政始まって以来初の左派(ドラノエ)市長が誕生。
長年中道派(UDF)が支配してきたリヨンでは、98年地方議会議長選で極右国民戦線(FN)と組んだミヨン(元国防相)候補リストという”毒入り”の選挙戦で、ドベルナールRPRリストが決戦で一部の区でミヨン・リストと併合。が、有権者は極右寄りを恐れ左に急転回、左派が9区のうち6区を獲得し、コロンブ社会党市長誕生。
が、地方では左派は惨憺たる負け戦に終わる。アヴィニョンに舞い降りた”落下傘候補”(parachutage)ギグー雇用・連帯相落選。ブロワ市長を1年前に辞めパリ市長選によろめいたかと思うと教育相になり変わったラング氏は、一度ふった恋人は取りもどせず若手ペルショ候補(UDF)に37票差で破れる。ストラスブールでも同様、トロットマン前文化相は1年留守にした後の再出馬で、銀行幹部歴のある主婦ケレールRPR候補に惨敗。ゲソー運輸相もヴォアネ環境相も第1回投票でそれぞれベジエ、ドールで落選。有権者は、閣僚候補の国政と市政の両刀遣いを拒否したわけだ。ジョスパン首相は兼任制への痛烈な批判票を受け止め市議、県会議員に当選した閣僚らにどちらかを選ぶよう勧告。
また特筆すべき点は、伝統的に共産党の強かった町でその地盤が崩壊し市政が右派に移ったこと。さらに極右ルペン、メグレ派が後退した分、その元支持票が右派に合流。そしてブルジョワ化しつつあるといわれる社会党政権の社会・経済政策から無視された底辺層がトロツキスト系極左票を伸ばしたことなど。来年の大統領選、総選挙を前にジョスパン首相はシラク大統領以上に安閑としていられない状況に直面しているのである。(君)
パリ市議会党派別新議席数 (計163)
92議席(+29)左派 (得票率49.6%)
社49-緑23-共11-市民運動7-他2
71議席(−29)右派 (得票率50.4%)
セガン派55-チベリ派12-他4
党派別577市 (人口15,000人以上) 市長
259市長(−42)左派
社170 (177)-共51(74)-他36 (49)-緑2 (1)
318市長(+40)右派
RPR137 (122)-UDF82 (76)-DL32 (18)-
他67 (62)
*( )内は選挙前の市長数