水曜日にお掃除のおばさんが来るのでその翌日に取材が決まったジュリアンさんの家。〈なんでもとっておく・集める〉人はフランスに多いような気がするが、ここもモノの数がおびただしい。お掃除の人もさぞかし大変だろうと同情してしまう。 海や川の漂流物、船の模型群、魔除けや数珠、出身地ブルターニュの神々像とヒンズー教の神々像、マリアさま(壁掛け、ポスター類など多バージョン)に十字架、仏像、観音、ほてい様が混在する。モード関係の仕事柄、服、本、写真は多い。箱が好き。鞄やトランク類も大好き。彼は旅行することが多く、モノの誘惑も多い。「集めるつもりはないけれど、素敵なものを見ると買ってしまう」。ゴージャス系オブジェ、キッチュな土産・贈り物類の独特のコンビネーションが海賊の巣窟風である。あまり陽の射さないアパート内は日中でも薄暗くおどろおどろしいが、夜は香が焚かれ、ろうそくの灯があちらこちらで揺れ、八百万の神々が息をしているかのようだ。 そんな〈霊域〉の平和が近頃、かき乱されるようになった。上の階に4人家族が越してきたのだ。上の子どもが暴れ、彼の居間のシャンデリアの光が揺れる。板張りの床のギシ、ミシという音のほか、ガツンと何かの落ちる音、犬のような叫び声。上に向かい「うるさいですよー!」と何回も叫ぶが効果はなし。彼も向こうを張ってラジオや音楽のボリュームを上げる。都会の暮らしでは音戦争は珍しくない。彼も最初の頃は、椅子の脚カバーを上階の住人にプレゼントするなどして苦情を柔らかく訴えたり、手紙を書いたりしたものだが折り合いが付かず、戦況はここまで悪化した。上の住人は、朝6時に起床。その音で6時に起こされた後、再度寝入ってしまい昼まで起きられないことが何回かあり、彼は耳栓をして寝るようになった。しかし「耳栓は耳が痛くなるし、自分の体内の音、特に心臓の鼓動が頭中に響いて眠りに就きにくい。目覚まし時計の音が聞こえず起きられない・・・」ストレスはたまる一方である。 そんなわけで、愛する20年来のすみかではあるが、とうとう引っ越しを考えるようになった。アトリエのあるマレ地区は気に入っているので、アトリエの建物の管理人さんに話をするつもりだ。管理人というのは住人の出入りを把握している上、近所の同業者のネットワークが密だから最も有力な地域の住宅情報源なのだ。理想の住まいは「旧建築で刳形(くりかた)があり、暖炉とテラス付き。祝宴の間があって(上に住人のいない)最上階」。これでは見つけるのはさぞ難しいだろう。「日本の民家」の本を見てから、藁葺き屋根の田舎家暮らしにも憧れる。「物持ちのいい」彼の場合、引っ越しもまた、困難を極めることだろう。(美) |
浴室もゴージャス。 居間はスペインの気分。 客用の寝室 (左) とご自慢の自分のベッド。 |
●Eglise Saint Serge (隣人との戦争がなければ)「朝7時には教会の鐘が聞こえて、どこか小さな田舎の村にいるような気分」というジュリアンさん。鐘の音は、近くのロシア正教会のものだ。教会正面は木造り、後部はレンガ造り、祭礼の間は2階にある。もとはドイツ人牧師が19世紀に創立したルター派の教会だったが、第一次世界大戦下フランス政府に差し押さえられ、1924年競売にかけられた。これを買ったのが1917年の10月革命で亡命してきていたロシア正教の聖職者たちだったのだ。本国ロシアでは共産主義のもと第二次大戦後まで神学校は閉鎖されていたが、ここには1926年に神学校も設立され、一時はヨーロッパ唯一のロシア正教神学校だった。現在でもフランスのほか、ロシア、ルーマニア、フィンランドなどから来た神学生たちが、併設の寄宿舎に暮らしながら聖職者になる勉強を続けている。 パリには他にもロシア教会があるが、ミサの回数が少ない。ここは平日も毎日7時半と18時にミサがある。夕暮時の、澄んだ低い声の合唱が木の床に染み込むようなミサ。わずかなロウソクの灯が点された暗い祭礼の間は、これまた〈霊域〉であった。(美) 93 rue de Crimee 19e |