「12年振りに帰国したら、まずは北海道の大地にキスでもするか。」
札幌生まれのタクちゃんは22歳のころ日本を後にしました。脱出資金は4年間の自衛隊生活で蓄え、まずはロサンゼルスに。長距離トラックの運転手で食 いつなぎ、ヨーロッパへと流れてきました。マルセイユの駅で外人部隊募集広告を目にした彼は、その足で事務所を訪ね、そのまま入隊。わずか半日の出来事です。以来5年間再び兵隊を職業としました。
ジブチ派遣を皮切りに、1991年には対戦車ミサイルの分隊長として湾岸戦争に従軍。同年ザイールの内乱ではヨーロッパ人の救出と、たいへんな年を経験しました。
「湾岸戦争が終った当時はフランスの飲み屋で金を払ったことがないね。全部おごりだよ。戦争? 茶番劇だね!! それに外人部隊より自衛隊野戦部隊の方がよっぽどしんどかったよ。人生に思想的なものなんかないね。自衛隊だって、ポスターのオートバイにまたがる偵察隊員に憧れて入隊したんだ。オートバイ少年だったからね。」
好奇心の赴くまま、その時それが一番いいと直感したことに対して行動を起こす。
「別に特別な生き方をしてきたとは思わない。普通だよ」とタクちゃんは言います。でも、エネルギーの所在すら見つけられず、進むべき方向さえ失ってしまった人が多い中で、彼の生き方には、今は死語であろう「情熱」を感じます。
外人部隊の契約終了後、パリでミニバスの運転手ガイドとして働いていたタクちゃんは、こともあろうに悪い写真家の (住) にそそのかされて、今はプロのカメラマンの修業中です。「収入は半分以下になったけれど、何とか飢えなければいいし、ゼロから仕事を始めるのも面白いものだよ。」
三十路半ば、タクちゃんの自分に対する挑戦は尽きることがありません。そして彼の情熱は、カメラマンとして数多くの人に感動を与える作品を残していくことでしょう。(住)