「移民に一番厳しいのは、実は移民出身の政治家たちさ」。13区の中華街のカフェで、社会学者スビ・トマさんはそう言った。好々爺の外見とは似つかぬ毅然(きぜん)とした口調に、ふと芥川龍之介の『蜘蛛の糸』を思い出した。地獄におちた極悪人のカンダタを救ってやろうと仏様が一本の蜘蛛の糸を垂らす話である。カンダタは糸をつかみ極楽に上ろうとするが、すがってくる他の亡者たちを振り払おうとして、糸を切ってしまい、再び地獄に落ちる。
トマさんの言うとおり、かつて内相として外国人の生殺与奪の権を握っていたサルコジやヴァルスの言動も〈移民二世〉という点で見れば、『蜘蛛の糸』のカンダタのそれに似ていなくもない。「フランスのマグレブ系移民はもともと数年限りの出稼ぎ労働者として受け入れられてきた。独身男性が単身で来るのが条件だった。一方でポーランドなどのヨーロッパ圏からの移民は家族帯同を許され、彼らのための住宅地が整備されたりもした。根本にあるこうした格差を省みずに、都市郊外のマグレブ系の若者はフランス社会に同化する努力が足りないと非難するのは、事実を無視した、ヨーロッパ中心主義的な考え方だ」
トマさんはイラクのキリスト教の部族に生まれた。学生だった1968年、サダム・フセインがクーデターを起こして政権を掌握した。反対運動に加わったトマさんは、政治犯として1年間投獄され、祖国には居られなくなった。シリアやレバノンで勉学をつづけた後、フランス人女性との結婚を経て、パリのEHESS (社会科学高等研究院)に学んだ。「住居は移民問題の鍵だ」という彼は、長年にわたってSonacotraという独身移民労働者のための寮を設営している会社で、職員の教育を任されてきた。
「当初は旧植民地の軍人上がりの職員ばかりだった。住人に対してとても横柄で、生活環境は軍隊にいるように劣悪だった」と振り返る。トマさんは時間をかけて、住人たちの文化的な背景を職員に理解してもらえるように努めた。やがて、彼らも尊厳をもって入居者に接するようになり、部屋の面積も広げられ、女性職員が雇われるなど、環境は徐々に向上していった。湾岸戦争にもイラク戦争にも反対し、運動の先頭に立ってきた彼は、武力で昨今の難民問題を解決しようという論調に大きな疑問を抱いている。欧米諸国の為政者たちが〈人道〉という概念を、自分たちの利害を押しつける方便として使っているからだ。移民をめぐる多くの問題の背景には、欧米が脱植民地の時代が去っても抜けきれていない〈宗主国気質〉があると、彼は指摘する。
人道とは高みからクモの糸を垂らして亡者たちを弄ぶような『蜘蛛の糸』の仏のなぐさみであってはならない。一方、移民たちも地獄の亡者となってはならない。どうすればいいのか? トマさんの答えは明確だ。
「自分の言語や文化の素養がしっかりしている者は、他の社会にもすんなり入っていける」。(浩)