4月11日の午後、花曇りの空の下、バスチーユ広場の南側に設けられたステージを囲んで、数百人の群衆がアコーデオンやタンバリンの奏でる軽快なリズムに身をまかせていた。春の訪れを祝う牧歌的な光景だが、みんなが胸元につけているステッカーが、ただのお祭りではないことを物語っていた。真ん中に描かれた車輪はロマ人たちのシンボルであり、そして4月8日は「世界ロマの日」。ロマ人の生活改善を求め、アムネスティ・インターナショナルが企画した集会だった。
ヨーロッパのロマ人口は現在、1000万から1200万人を数えるという。北インドの芸術家カーストを起源とし、600年前にヨーロッパにやってきたロマの人々は、放浪の民としてメリメの『カルメン』などに描かれ、多くの者の哀愁をかき立てたが、その一方で、多くの偏見や差別、迫害に晒(さら)されてきた。その最たるものがナチスドイツによる強制断種と強制収容で、20万人以上が犠牲になったといわれている。
戦争が終わっても差別が止むことはなかった。2010年の夏、サルコジ大統領がグルノーブルでロマ人を犯罪者呼ばわりするような発言をしたことを皮切りに、差別が再燃した。それは、社会党に政権が移っても変わらないらしい。昨年、中学生レオナルダさんの両親が国外追放になった後の騒動に見られたように、風当たりはむしろ強くなるばかりだ。
演奏の合間にリリアナ・リスタシュさんが演壇に立ち、警察による〈ロマ人狩り〉の体験を語った。「夜明けのバラックを力ずくで追い出され、子供が大事にしていた玩具を取りにもどることすら許されなかった。ロマ人が定住し定職につくことを嫌っているとか、子女に教育を受けたがらせないというのは、偏見である。自分たちだって清潔で安定した生活を望んでいるし、またEU国であるルーマニアの国民であるのだから、他のEU諸国出身者と同じ権利があるはずだ」。この強制退去でリリアナさんは奮起した。フランスに1万8千人いるというロマ人の定住と社会同化を支援する団体
〈ROM REUSSITE 成功するロマ〉を設立したのだ。活動しはじめてからまだ1年、メンバーも4人しかいないが、住居や仕事、子供の就学の面で同胞たちの面倒をみている。夫のユーリカさんは、「他の団体と協力しつつ、今後も規模をひろげてていく」、と意気込む。
リリアナさんはこんな言葉でスピーチを締めくくった。「私たちはこれまで、自分たちにどんな権利があるのかも知らず、権利などないと思いこんで生きてきました。今日みなさんに支援を呼びかけるのは、まさにその権利が何であるのか認識するためです」と。
外国人コミュニティーとして彼女たちも自分たちも同じ立場にある。それにもかかわらず、われわれは偏見の上にあぐらをかいて、何か壁のようなものを知らずに築いてはいないか。心の間隙をつくような、鋭い言葉である。(浩)