復活祭からちょうど1 週間後の4 月27日、バチカンで教皇フランシスコは、ヨハネ23世(1881-1963/在位1958-63)とヨハネ・パウロ2世(1920-2005/在位1978-2005)の列聖式を行い、聖人として宣言した。ル・モンド紙(4/27-28)は1面に大きな写真と共に「教会を変えた二人の教皇」としている。後者は初の非イタリア人教皇、「空飛ぶ教皇」として、特にポーランドの民主化運動の支えとなり、ワールドユースデーも企画し世界中の青年カトリック信者への広がりに努めただけにポーランド他、諸外国から信者がつめかけ約80万人がサン・ピエトロ広場を埋めつくした。昨年辞任したベネディクト16世前教皇と現教皇が隣席するバチカン史上初の列聖式となった。
列聖に至るには3段階ある。福音的な生き方をした信者が尊者(Vénérable/Bede)となり、奇跡を2回もたらし、死後その徳と聖性が認められると福者(Bienheureux/Beatus)となる。最終的に死後5年後に誓願修道会の審議を経て聖人となる。ヨハネ23世はイタリア人修道女の病を治した奇跡を1回しかもたらしていないが、1959年から1963年逝去まで4年間、教会の現代化を目指す第2バチカン公会議を推進させた教皇。ヨハネ・パウロ2世は2005年、パーキンソン病のフランス人修道女を救い、2011年コスタリカの女性信者の脳障害を治癒させたこの2回の奇跡と、ヨハネ23世同様に「教会と現代人との対話」を推し進めた教皇だった。第2公会議では信教の自由や、現地語でのミサを認めるべきとする進歩派と、教皇庁を守るイタリア人枢機卿ら保守派が数年にわたる凄絶な議論を重ねた。ヨハネ23世、ヨハネ・パウロ2世とも進歩的リベラル派に属した。ちなみに 1869年第1バチカン公会議は、仏革命によって生まれた近代革命世界を否定した。
教皇フランシスコは、バチカン初の南米出身でブエノスアイレスのイタリア移民の子として生まれ育った。貧困地区で「貧乏人の司教」として活動した。住民と共にバスも一緒に乗り清貧の生活を送ってきただけに、今まで敷居の高かったバチカンを庶民の手の届く教会にしている。
ヨハネ・パウロ2世とベネディクト16世も避妊器具や人工妊娠中絶なども認めなかったが、教皇フランシスコは、急速に変化しつつある現代人生活にいかなる妥協を認めるのだろうか。カトリック信者の間でも離婚で終わる家庭が増えているが、離婚した信者には聖体拝領を行わないキリスト教の規律が生きているなかで、現代人の教会離れを抑えるのはむずかしい。カトリック信者の同性婚姻者はどうなるのだろう。教皇ヨハネ23 世が50年前に決行した第2バチカン公会議に次ぐ21世紀の第3公会議は想定できるのだろうか。せめて若者にも人気のある教皇フランシスコの親しみやすさと優しい微笑みに期待したい。
寂れた田舎の教会はクモの巣が張り、閑古鳥が鳴く。神父の中には村や町の数教会を掛け持ちで結婚式や葬儀をこなしているよう。ブラジルでは「新プロテスタント改革」が盛んになっている。世界の広地域を占めつつあるイスラム教に比しカトリック教会は消えゆくろうそくの炎?(君)