—母国語で読むということ—
パリの様々な外国人コミュニティと活字文化の関係を取材しているが、今回はマクロな視点に立って見ている人を紹介しよう。ポルト・ドレにある国立移民歴史記念館*が隔月で刊行している学術誌『hommes&migrations(人間と移民)』の編集長、マリー・ポワンソさんだ。政治学の博士号を持ち、これまで移民問題を扱った多くの本や雑誌、図録の刊行に立ち会った彼女によると、「ヨーロッパでフランスの出版界ほど移民問題に関心をもった国はない」と言う。すでに専門の学術誌は4つもあり、書籍や一般誌の特集も含めると相当な数の出版物が出ている。英国やドイツなどに比べても明らかに多い。もちろん移民と言語、とくに母国語とのかかわりについてもいろいろな著作が出ている。
「国立統計経済研究所INSEEや国立人口統計学研究所INEDの調査でも、移民の人たちも二世三世となるごとに母国語から離れていく傾向がある」というポワンソさん。とくにイタリアやポーランドなど古くからフランスにあるコミュニティにその傾向が強い。20世紀初頭にはイタリア語新聞が存在したり、人民戦線政権下の30年代のメーデーの写真にはポーランド語やイディッシュ語の横断幕やプラカードが並んでいたという。いまでは見られない光景だ。「コミュニティや母国語との結びつきが深いのは、移民の中でも新しく来た人たち」という。現在でいうならば、トルコやタミールといったコミュニティである。
移民たちの母国語離れが進んでいるのは、彼ら自身の選択だけではないと、ポワンソさんは強調する。たとえば70年代までは公立学校でアラビア語など、移民の子供たちに母国語を教える授業があった。しかし、80年代以降、母国語の教育は学校ではなく、地域の団体などのNGOの手に委ねられるようになり、今や彼らが主役となっている。しかし、国が正式な教員を雇用ていた頃とは違い、こうした民間団体による授業では質などにどうしてもムラが出てしまう。
記念館の資料室にその名を冠している、アルジェリア出身でフランスで活躍した社会学者アブデル=マレク・サヤドは、『Double Absence二重の不在感』という著作を残しているが、ポワンソさんも「今のフランスでは〈移民〉という言葉を耳にすると、〈受け入れる〉者というイメージしか浮かばない。たとえフランスに生き続けても、彼らが母国の言葉や文化と関わり続いていることが理解されていない。フランスと母国の〈間にいる〉ことが無視されている」と言う。
昨年は『hommes&migrations』で「日本の移民社会」だけを特集した号を出した彼女。こちらからの質問がひと通りすむと、「パリの日本人コミュニティって特殊よね。みんなどんな人たちなの?」と質問の逆襲がはじまった。思わず言葉に詰まって考え込んでしまう。僕たちは一体、何者なのだろう。(康)
*Musée de l’histoire de l’immigration :
293 av. Daumesnil 12e 01 53 59 6430 M°Porte Dorée
火〜金10h-17h30、土日10h-19h。6€。
国立移民歴史記念館 Musée de l’histoire de l’immigration