母国語で読むということ〈エスペラント編〉
エスペラントは、1887年にポーランドのザメンホフが考案した人工言語だ。現在、世界中に160万人のエスペランチストがいるという。日本人では、二葉亭四迷や大杉栄、宮沢賢治、民族学者の梅棹忠夫らが有名だ。戦前に日本の大本教が教団の言語として採用したり、中国にはエスペラントの島が存在するらしいが、この言語を公用語とする国は存在しない。なぜなら、エスペラントが作られ普及したのも、国家の隔たりを越えて世界中の人たちが平等に交流できるようするという哲学が背景にあったからだ。
フランスとエスペラントの関わりは深く、1905年には最初の世界大会がブーローニュ・シュル・メールで開かれたほか、何度も世界大会が開かれているほどだ。
ひとえに「エスぺランチスト」というが、大きく分けて二つの流れがあるという。ひとつはUEA(国際エスペラント協会)で、もうひとつは、エスペラント界の急進派が1921年のプラハ大会を契機に分離して設立した、左派のSAT(非国家協会)である。「○△主義」といった教義はないが、SATの特色は政治色が強いことだ。メンバーたちは国際語を使って意見を戦わせ、そして行動する。だから入会時にすでにエスペラント語をマスターしていなければならない。SAT-Amikaroはこうした人材を育てるために1945年に発足した。13区のイタリー広場の近くに本部がある。ここでは教材や文芸書をはじめとした書籍の販売や語学講座を開いたり、エスペラント雑誌〈La SAGO〉を発行している。
国家という概念を超越した言語であるため、多くの迫害を経験してきた。SAT-Amikaroのギー・カヴァリエさんによると、最も凄惨(せいさん)だったのは、1930年代のソ連でのスターリンによる粛清。ナチ占領下のフランスでも冬の時代が続いた。
「エスペラントは国家を持たないが、この言葉を母語としているネイティブはいる」という。たとえばハンガリー出身のアメリカの投資王のジョージ・ソロスはエスペラントで育てられた。最近パリ近郊で多いのは、両親がエスペランチストの国際カップルの子供たちだ。母がチェコ人で父がスペイン人、子供たちはフランス語で教育を受けているなどという環境では、家族のだれにとっても中立な共通語として便利だ。
インターネットの普及により、世界中のエスペランティストが日常的に交流できるようになった。この言葉が本質的に持っている価値は、平等と博愛の精神だという。協会の中でのギーさんの役割を聞くと、「〈代表〉という肩書きがついているが、信条と矛盾するので使いたくない」と徹底している。彼の見つめる壁にはエスペラントのシンボルである緑色の星のプレートがかかっていた。緑は「希望」を、星は世界五大陸を象徴している。(康)
SAT-Amikaro : 132 bd Vincent Auriol 13e
09.5350.9958 www.esperanto-sat.info/