
写真の原点へ。
心が満たされて、時を止めたいと思うことがある。見たものを記憶にとどめるだけでは褪(あ)せてしまうから、記録しようと、人は写真を撮る。
発明家ニセフォール・ニエプスも、サルデーニャ島の美しい景色や、息子が生まれて成長するのを眺めながら、そんな想いにかられたといわれる。フランス革命で社会が大きく変わり、産業革命が始まろうとしていた時代、さまざまな発明コンクールが催され、ニエプスはエンジンから自転車、染料にいたる幅広い分野での発明に挑んだ。そして、1816年頃からほぼ10年間にわたって実験を続けた末、部屋の窓から見える景色を鉛板に固定することに成功する。これが「ル・グラの窓からの眺め」と呼ばれる、現存する〈人類初の写真〉。200年前の夏のことだった。

ダゲールも4回訪れ、ニエプスとともに研究に取り組んだ。
Photo : Musée Maison Nicéphore Niépce
この写真が撮られたニエプスの家はブルゴーニュ南部サン・ルー・ド・ヴァレンヌにある。研究室として使われていた、大きな家の屋根裏部屋の床板はすり減って、ところどころ金属板で補強されている。ニエプスが試行錯誤を重ねながら、行ったり来たりしていた長い年月を感じさせる。ところがニエプスは写真を発明したことを世に認められないまま生涯を閉じる。写真は、いとも手軽に撮れるようになった。そんな今、写真の原点を見に行った。(六)

Chalon-sur-Saône
シャロン・シュル・ソーヌ

シャロン・シュル・ソーヌはブルゴーニュ南部、人口4万5千人ほどの落ち着いた古都。夏のソーヌ河岸には、アイスクリームやビールのスタンドが並び、夜はジャズ・コンサートを聴きながら人々が夕涼み。橋を渡れば、かつて漁師たちが住んでいたというサン・ローラン島がある。
カフェやレストランに囲まれたサン・ヴァンサン大聖堂広場から、市庁舎とドノン美術館、サンピエール教会がある広場までが町の中心となっている。ブルゴーニュの銘醸地区コート・シャロネーズのブーズロン、リュリー、メルキュレ、ジヴリー、モンタニーなどの村に近く、地酒休憩にもときめきを感じる町だ。

ニエプスのおいたち。
シャロンの町の中心、ロラトワール袋小路の奥に、ジョゼフ・ニセフォール・ニエプス(1765-1833)の生家がある。ジョゼフは弁護士で官僚だった父親と裕福な家出身の母のもと、4人兄弟の3男として生まれた。

1765年はディドロとダランベールの百科全書の発行が完了しようとしていた年。社会には、真実は聖書でなく科学にあり、科学の進歩なしに人類の進歩あらずという空気が漂っていた。ジョゼフは、当時のブルジョワの慣習にならい長男は軍人、次男より下は僧侶と、シャロンのオラトリオ会の学校に通わされるが、父親の死後は決められた道から外れ、1792年には革命軍に従軍し、サルデーニャ島やニースへ遠征。退役しニースで結婚。息子をもうけた後シャロンに戻り、発明に本腰をいれる。

「発明家」ニエプス兄弟:エンジンから自転車まで。

ニエプス兄弟の発明で有名なのがピレオロフォール(Pyréolophore)という内燃エンジンだ。エンジン内で植物ヒカゲノカズラ類の粉(胞子)を爆発させ、そのエネルギーで機械が水を噴き出す。それを繰り返して船を進めるというものだ。ニエプスの敷地では日々実験の爆発音がして隣人たちを怖がらせたというが、ソーヌ川の試行運転では馬が走るほどのスピードを出した。ピレオロフォールは1806年科学アカデミーで発表され、翌年ナポレオンの署名入り特許を得ながらも商品化につながらなかったが、燃料として石油も使っため、今日ではエンジンの基と評価されている。
1806年、ナポレオンが大陸封鎖でイギリスを孤立させようとするとフランスにインディゴ染料が入ってこなくなり、60万着の青い軍服を染めるため、代替染料のコンクールが始まる。15〜16世紀南仏で大規模に行われていたパステル染料製造はインディゴの登場によってすでにすたれていたが、兄弟はこのパステル栽培にも挑戦。またヴェルサイユ宮殿の華やかな噴水を可能にした、1688年に造られた巨大揚水装置「マルリーの機械 Machine de Marly」(セーヌ川から154mの高さまで水を汲み上げ、ヴェルサイユまで8kmの水道橋で水を引いた)の老朽化で、これを刷新するコンクールが実施されると、機械を開発して応募した(落選)。

1816年、ピレオロフォールの10年の特許が切れる前に商品化しようと兄クロードはパリへ、その後イギリスへと渡る。残ったニセフォールは写真の研究を始めるが、他の発明も怠らない。フランス産業振興局が、1796年にミュンヘンで発明された石版印刷(リトグラフィー)の石を探すコンクールを開始すると採石場を探し回った。ドイツのカール・フォン・ドライス男爵が1817年に開発した、足で地面を蹴って進むペダルなしの自転車「ドライジーネ」(ニエプスはVélocipèdeと呼んだ)は、サドルの高さを調節できるように改良し、それでサン・ルーの村を走りまわって村人たちを驚かせた。兄への手紙には、これにモーターをつける案が書かれている。他にも食糧難に備えてカボチャからデンプンを取り出す研究や、オオトウワタの繊維を採り、糸を繰って妻が息子に靴下を編んだりもしていた。
写真元年は1824年か1827年か。

ニセフォールは51歳の頃から大きさの異なるカメラ・オブスクラを作り、パリから取り寄せた異なるレンズを使いながら写真の研究に取り組んだ。そして1824年9月16日、「露光5日間で、リトグラフィー用の石板に画像を固定させた」と兄への手紙に書いている。「あったものが驚くほどはっきり、そのまま、微妙なニュアンスまで写っている」。写真は残っていないが、これこそ世界最初の写真に関する記述だとしてニエプスの家では、1824年を写真誕生の年としている。
さらにその後ニセフォールは、ふたたびサン・ルーの窓から1827年7月「ル・グラの窓からの眺め」を撮った。窓と屋根、鳩舎と木を映した写真は、現存する世界最古の写真ということで1827年もまた写真元年とされ、今秋から来年にかけて写真誕生200年のイベントが全国で予定されている。

いずれにしろ、これらは「エリオグラフィー」(hélio 太陽の+graphie 描く)とニセフォールが名付けた写真製法だ。アスファルトの粉をラベンダーオイルと混ぜ、感光剤として石板、鉛板に塗り、それをカメラに入れて窓からの眺めを撮影した。アスファルトは光に反応して硬化するので、光が当たった部分は黒くなる。板をカメラから取り出したらラベンダーオイルですすぐと像が現れるというものだ。

ニセフォール・ニエプス写真美術館。
さて、兄クロードがシャロンを出てから11年が経過した。内燃エンジンの改良と商品化に努めると言っていた兄をニセフォールがイギリスに尋ねると、モーターどころではなく心身を病み、それまでニセフォールが研究のためにフランスから送ったお金も役に立たないまま、兄はイギリスで死んでしまう。ニセフォールは借金で家の農地やブドウ畑なども売ることになった。ニセフォールは「ル・グラの窓からの眺め」を植物学者のバウアーに見せ、エリオグラフィーの技術をイギリス王立協会に認めてもらおうと論文を書くが受け入れられず。フランス帰国前に、「ル・グラの窓からの眺め」をバウアーに渡してしまう。その後、この歴史的写真は人の手から手へとわたり、1952年まで所在が分からなくなってしまった。
サン・ルーのニエプスの家。

「ル・グラの窓からの眺め」が撮られたサン・ルー・ド・ヴァレンヌ村にあるニエプスの家が公開されるようになったのは2002年のこと。パリの写真学校 Spéos (スペオス)創設者ピエール=イヴ・マエ氏がこの家を訪れた時、「貸家」の貼紙が出ていたので、ニエプスが研究に使っていた半分を借りることを即決。国立科学研究所のジャン=ルイ・マリニエ氏と、どこでどのように 「ル・グラ」が撮られたのかを検証した。床板を外し、「ル・グラ」が撮られた当時の窓が、今の窓とは70cmずれていたことも突き止めた。
物理化学者のマリニエ氏と、ニエプスの末裔マニュエル・ボネ氏は集めた手紙や手稿を2003年に出版(全2巻 1600頁、168.80€)、書かれている写真の製法も実践し、ニエプス学に新しい知識をもたらした。この家はニエプスをはじめ、静かな情熱に満ちている。「家の中では写真を撮ってはだめ」と言われたが、先人が努力の末に人類初の写真を撮った、その場所を、安易に撮影されたくはないだろう、と勝手に想像した。この夏は8月24日まで。どうぞお行き逃しなく
ダゲールとの共同研究。

イギリスから帰国したニエプスは、レピュブリック広場の「ジオラマ館」が大当たりしていたルイ・ダゲール(Louis Jacques Mandé Daguerre 1787–1851)と共同研究の契約を結ぶ。ダゲールは劇場の絵を描くのにカメラ・オブスクラを使っていたので、ニエプスは、ダゲールが露光時間が短くできるいいカメラを作ってくれるだろうという期待を抱いていた。
ダゲールはサン・ルーの家に4回やって来た。それ以外の時も文通で報告しあい、1832年の夏に「physautotypeフィゾトティープ 」を開発する。ラベンダーエッセンスを蒸留させた後に残るタール(または樹脂)を粉にし、アルコールで溶かしたものを銀などの板に塗る。その板が乾燥したらカメラに装填。露光が終わり、板を取り出したらペトロールの蒸気にさらすと像が浮かび上がるというものだ。風景の撮影には7〜8時間、静物なら3時間〜3時間半で写真が撮れるようになった。
ところが翌年、ニエプスは死んでしまう。ピレオロフォールも写真も、研究の成果を認知されないまま。ダゲールとの共同研究は息子イジドールが継続するが、彼はひとりでは写真も撮れず、製法の記述をみても暗号もわからない。フィゾトティープを商品化し、早く借金返済にあてたいイジドールと、まだ改良を重ねたいダゲール。

1837年、ダゲールはついに露光時間を15分ほどまで短縮し、写真史上初めての肖像写真を撮れるまでになった。そして、当初のニエプスとの契約に反し、製法に自分の名だけをを冠し、「ダゲレオタイプ」と呼ぶ。1839年8月19日には、世界初の実用的写真撮影法としてフランス学士院で発表された。特許を国が買い上げ、ダゲレオタイプは誰もが使えるものとなった。
サン・ルーの家のそばを国道が通っていて、それを渡るとサン・ルー村の役場や、教会がある。世界で最初の写真を撮ったニセフォール・ニエプスは、この村の墓地に眠っている。

シャロン・シュル・ソーヌは世界最古の写真ラボもある »写真の都 »。
2007年シャロン郊外で、現存する「世界最古の写真ラボ」が発見された。シャロン市長も務め、フランス写真学会の創設メンバーでもあったフォルテュネ=ジョゼフ・プティオ=グロフィエ (1788-1855)が、1840年に家のなかに作り、15年間使っていたラボだと確定された。亡くなる数日前に学会に15枚の写真を寄贈していて、今日でも彼の写真は、フランス国立図書館に収蔵されている。

彼が突然死に、家族はラボの化学薬品のせいだろうと部屋を密閉した。それもあって2007年に扉が開かれた時は、数百本の化学薬品、ダゲレオタイプ、カメラ、暗室などが150年前そのままの状態で保存されていた。これら全てがニエプスの家に寄贈されたので、ニエプスの家に行けばプティオの研究室が同居しているのが見られる。余談だがこのプティオ家はワイナリーで、リュリーでシャンパーニュ製法で発泡性白ワイン、クレマン・ド・ブルゴーニュを初めて造った家だそう。
【 Informations 】
● パリからの行き方
パリ・ベルシー駅またはリヨン駅からChalon-Sur-Saôneまでは直行で3時間50分ほど。パリ↔︎ディジョン間をTGVにすれば、ディジョン乗り換えで2時間半〜3時間。
▶︎ SNCFフランス国鉄時刻表
● Maison natale de Niépce
シャロン・シュル・ソーヌのニエプス生家 : 15 rue de l’Oratoire (外観のみ)

● Musée Nicéphore Niépce
ニセフォール・ニエプス写真美術館
28 quai des Messageries 71100 Chalon-sur-Saône
Tél : 03.8548.4198 火祭日休。入場無料。
7-8月:10h-13h/14h-18h
9-6月:9h30-11h45 /14h-17h45
www.open-museeniepce.com
1974年にソーヌ川沿いに開館した写真博物館。ニエプスが 「グラの窓からの風景」を撮影するのに使ったカメラが見られる。ニエプスの手稿、手紙、ドライジーネも所蔵。ほぼ毎日、写真アトリエや異なるテーマの見学ツアーあり。

写真美術館。
● Musée de la Maison Nicéphore Niépce
サン・ルー・ド・ヴァレンヌの家- ミュージアム
2 rue Nicéphore Niépce 71240 Saint-Loup-de-Varennes
毎年7月、8月のみ開館。今夏は8/24日まで。
火曜を除く10h-18h。10hから毎時ガイドツアーあり (最終は17h)。10€/3€/学生5 €。
文化遺産の日:9/19 (土)20日(日)の14h-18h。
シャロン駅前からタクシーなら15分ほど、19€だった。
シャロンからバス11番Juliot Curie下車、徒歩で小一時間。

● Restaurant Le Saint Loup

ニエプスの家の前にある、国道沿いのレストラン。ニエプスの家は県道から少し奥まっているので、このレストランが目印になった。「マルシェのメニュー」は前菜+主菜+デザートで32€ (月木金の昼)。周辺の小規模農家から仕入れた食材を丁寧に料理した上質なレストラン。ニエプスの家と同じくらい訪れる価値あり。
Restaurant Le Saint Loup:13 D906
71240 Saint-Loup-de-Varennes
https://lesaintloup.com/fr/

● Harry Ransom Center
「ル・グラの窓からの眺め」を収蔵する米ハリー・ランサムセンターのサイト
www.hrc.utexas.edu/niepce-heliograph/

● Musée Vivant Denon

ルーヴル美術館 「ドノン翼」でおなじみヴィヴァン・ドノン (1747-1825)もシャロン出身者。パリで法学と同時に絵と版画を学び宮廷に出入りするが、革命で亡命。帰国後、ナポレオンのエジプト遠征に同行した後、ルーヴル美術館の母体、共和国中央博物館の館長を努めた。当館にはドノンのデッサン、銅版画などを多数展示。シャロンと周辺の考古学、伝統家具なども収蔵。
Musée Vivant Denon : Pl. de l’Hôtel de ville
71100 Chalon-sur-Saône
入場無料。火曜と祭日は休館。
7月 – 8月: 10h-13h / 14h-18h。それ以外:9h30-12h / 14h-17h30


17 Place de l’Hôtel de Ville 71100
Chalon sur Saône Tél 06 29 41 09 00
