2026年12月28日、映画は130歳の誕生日を迎えた。ちょうどこの日、動物愛護団体のブリジット・バルドー財団は、創設者の逝去を報告。「彼女は世界的に知られた女優、歌手であり、名高いキャリアを捨て、人生とエネルギーを動物保護と自身の財団に捧げました」とのメッセージを発信した。

昨年8月には私生活でもバルドーと親しかったアラン・ドロンが亡くなり、フランス映画を彩った往年のスターの訃報が続く。マクロン大統領は「彼女の映画、彼女の声、まばゆい栄光、彼女のイニシャル(BB)、悲しみ、動物への寛大な情熱、(フランス共和国の象徴)マリアンヌとなった顔、ブリジット・バルドーは自由な人生を体現。フランス的な存在、普遍的な輝き。彼女は私たちの心を動かし、私たちは世紀の伝説を悼みます」と、追悼の意を表した。
バルドーは1949年、モデル活動をしていた14歳の時にマルク・アレグレ監督の目に止まり、映画界入りのきっかけを掴む。1956年には、バルドーの夫であったロジェ・ヴァディム監督の長編デビュー作『素直な悪女 Et Dieu… créa la femme』に出演。金髪を振り乱し美脚もあらわに熱っぽく踊る姿は鮮烈な印象を放ち、とりわけアメリカで800万人の観客を集めるヒットを記録した。本作でたちまちマリリン・モンローと並ぶセックス・シンボルとして崇められる存在になったが、それは「性の革命」が1960年代後半に巻き起こる10年も前のことである。『素直な悪女』の製作者ラウル・レヴィは、「ルノー社と同様、バルドーは国家の財産」と発言している。
バルドーはパパラッチの深刻な被害者となった最初のスターの一人にもなった。1958年には、両親の別荘があり、『素直な悪女』の撮影地でもあった南仏の港町サントロペの家を衝動的に購入、以後は安息の地としている。バルドーが長らく住んだこの家は、近い将来、ミュージアムになる予定がある。
1960年1月には、映画で共演した俳優のジャック・シャリエとの間に長男ニコラをもうけた。当時バルドーは25歳。出産は好奇の目に晒され、クリニックでの出産が叶わず自宅出産となった。「私はそうあるべきではないまさにその時に、母親になりました。私はそれを悲劇として経験したのです。それは二人の人間を不幸にしました。息子と私です」。(自伝『ブリジット・バルドー自伝 イニシャルはBB』(1996年)より)
出産後10日でアンリ=ジョルジュ・クルーゾーの法廷劇『真実 La vérité』(2026年1月4日までリンクから視聴可能)で撮影現場に復帰。しかし、サスペンスの名匠のパワハラ体質に大いに悩まされた。とはいえ映画は評判となり、彼女の代表作の一本に。本人も自身の演技に満足した唯一の作品である。
1961年にはルイ・マル監督の『私生活 Vie privée』(ビデオ下)に出演。パパラッチに追われるバルドーの実生活とリンクする作品だ。そして最重要作品といえば、ジャン=リュック・ゴダール監督がモラヴィア小説の映画化に挑んだ『軽蔑 Le Mépris』(1963年*12月29日まで視聴可能)。当初、バルドーは左翼インテリは気に入らないという理由で出演をためらっていたが、結果的に本作も彼女の代表作となっている。
1960年代は映画出演と並行し、動物愛護運動家としての活動が活発化。1962年にテレビで気絶処置なしの牛の屠殺への反対を呼びかけ、10年後にはフランスで無痛屠殺用ピストルの使用が主流に。1978年には欧州理事会で残酷なアザラシ漁を批判し、80年代には状況が改善された。1986年に設立した動物愛護団体の活動は、現在に至るまで活発。このように実際に多くの実績を積み上げてきたことは大いに評価されるべきだろう。
映画出演作は約50本。セクシーなイメージを活用した役柄に偏りがちだったが、コメディからシリアスまで自然体で演技をこなした。妖艶で小悪魔的な魅力を放ち、高価な衣装や宝飾品などに頼らなくとも天性の華やかなオーラに包まれる稀有な銀幕スターだった。
映画界引退は1973年、38歳の時。映画『スカートめくりのコリノのとても素敵なとても楽しい物語 L’Histoire très bonne et très joyeuse de Colinot trousse-chemise 』の撮影中に、映画出演の意味を見出せなくなる。この撮影現場で共演した処分予定の子山羊を救い出したことを機に、動物愛護活動に身を投じることを決意。生涯、初志貫徹を貫いた。1985年にはミッテラン大統領からレジオンドヌール勲章を授与されるも、「私の勲章は動物たちに捧げる」と語っている。
90年代からは極右政党と接近し、極右政党党首の顧問だったベルナー・ドルマルと4度目の結婚。その後は人種差別的な発言が問題視されることも度々で、人種憎悪を煽動した罪で有罪判決も受けた。2004年の著書『Un Cri Dans le Silence 沈黙の中の叫び』では、「フランスがイスラム化する」と主張。とりわけ、羊を儀式的に屠殺するイスラム教の犠牲祭を非難した。また、同性愛者や一定の民族の人を一括りに非難するような言葉など、差別的に響く彼女の発言には注意が必要だろう。

早くに引退を決めたが経済的に自立し、映画業界や政治家、ファンやマスコミに媚びを売る必要もない。「変人の動物愛護者」というレッテル貼りに挫けることなく、信じる道を切り拓きながら進み、堂々と意見を表明し続けた。
2025年のカンヌ映画祭時期にも、「(カンヌ映画祭は)駄作が多過ぎるし、取るに足らない人が多過ぎる。素晴らしい俳優も、夢を見させてくれる人ももういない」との辛口発言で話題となった。亡くなる約3ヶ月前に発表した最後の著作『Mon BBcédaire』の中では、「自由、それは自分自身であること、たとえそれが誰かの不快となる時でも」と、最後まで彼女らしい言葉を残している。(瑞)



