ピティヴィエ駅。パリの南87km、ロワレ県にあるこの駅から、ユダヤ人を乗せた列車がアウシュヴィッツへ向けて発った。
第二次世界大戦でドイツに降伏したフランスは1940年6月から占領された。ペタン元帥率いる対ドイツ協力政府が発足し、ナチスの人種差別政策を遂行した。ユダヤ人の身元登録、「反ユダヤ法」で警察、教員、医師などの職業に就くことを禁止し、6歳以上のユダヤ人に黄色い星をつけることを義務づけた。プロパガンダで国民の反ユダヤ感情を煽りながらユダヤ人の財産を没収。東欧で始まった虐殺を逃れてフランスへ避難したユダヤ人たちも捕えて収容所に送り込んだ。仏国籍だった人たちは、まさかフランス人である自分たちを、国がドイツに差し出すことなどないと信じていた。
フランスでの 「ユダヤ人検挙」は1941年から44年まで続き、およそ8万3千人が犠牲となったが、なかでも1942年7月16日と17日、4千人の警察官が一斉にパリと近郊で1万3千人のユダヤ人を捕らえた 「ヴェルディヴの大量検挙」事件は大規模だった。それまでは男性を対象としていたのがこの時は4400人の子どもを含み、老人、女性も捕らえられパリ15区にあった自転車競技場Vélodrome de l’Hiver (略してヴェル・ディヴ) に収容された。その後、国内の収容所を転々とさせられた末、ナチスの収容所に送られた。
ロワレ県のピティヴィエ市とボーヌ・ラ・ロランド市の収容所には1万6千人が連行され、2市の駅からは8度、ユダヤ人を乗せた電車がアウシュヴィッツへと出発した。占領軍に対抗するレジスタンス闘士、「ジュストJustes」と呼ばれるユダヤ人をかくまう人、警察官でも見逃す人などもいたが、フランス人がフランス人を捕らえドイツに差し出した出来事だった。
1995年に初めてシラク大統領がこの事件のフランス政府の責任を認め、「啓蒙主義と人権、受容と亡命の国であるフランスはこの日、償いきれない罪を犯した」と述べた。事件から80周年となる今年7月、ピティヴィエ駅は記念館となった。マクロン大統領は、追悼と開会式に参列し、演説で、「ペタンも(…他関係者も)、ユダヤ人を救おうとしなかった」と言った。今年5月大統領選挙に立候補した極右エリック・ゼムールの、「ペタンはフランス国籍のユダヤ人を救った」とする、歴史を歪曲する説を、真っ向から否定した。(集)
◉Gare de Pithiviers (Mémorial)
8/31までは水〜日 11h-18h。9月以降土日のみ。入場無料。
パリからRER C線でEtampes(終点)下車、バス25番でGare SNCF下車 (本数が少ないので要確認)。
Gare de Pithiviers (Mémorial)
Adresse : Pl. de la Gare, Pithiviers , FranceURL : https://www.memorialdelashoah.org/inauguration-gare-pithiviers.html/gare-de-pithiviers-1