コロナ禍で例年の5月から、夏に延期された第74回カンヌ国際映画祭(2021年7月6日から17日迄開催)。オープニング作品に選ばれたのは話題作『Annette』。『ホーリー・モーターズ』(2012)から9年ぶりとなるレオス・カラックスの新作だ。主演はフランスが誇るアカデミー女優マリオン・コティヤールと、メジャーからインディペンデントまで自在に行き来する米俳優アダム・ドライバー。ベルギー出身の人気シンガーソングライター、アンジェルも顔を出す。音楽は米ロックバンド、スパークスが担当。昨年はいわゆる「リアル開催」を断念したカンヌ。2年ぶりの幕開けを華々しく飾るのに、これ以上にふさわしい作品はないようだ。
主役はオペラ歌手のアン(コティヤール)と、挑発的なスタンダップ・コメディアンのヘンリー(ドライバー)。一挙一動が注目されるふたりの間に、不思議な子ども“アネット”が誕生する。同時にふたりの運命の歯車も、徐々に狂い出すというドラマである。
ミュージカル仕立ての2時間20分。悲劇も喜劇も全て巻き込みながら、感情の嵐の中を飛び続ける飛行機のような作品。失速を許さぬ濃密な展開に、中盤までは見ていて息苦しくなるかもしれない。カラックスは暴風雨の中も操縦の手を緩めることはない。観客はハラハラして見守ることとなるが、やがて映画は納得の着地点も見出すだろう。
全編一瞬の隙もない色彩と音楽の洪水。映画というより、人間が抱える普遍的な愛や憎悪、嫉妬や葛藤、怨念や赦しといった感情の嵐を刻み込んだ映像ロック・オペラ。ドラマティックで幻想的、かつケレン味たっぷりの演出に、目を奪われ、心乱されてしまうのだ。
冒頭でカラックスは実の娘ナースチャ(母親は『ポーラX』に主演し2011年に急逝したカテリーナ・ベルゴワ)とともに、このドラマの見届け役として登場する。また、後半で登場するヘンリーの佇まいは、髪型といいヒゲといい、カラックスそのものに見える。この壮大なドラマは、どこか規格外な芸術家の業の深さのようなものまで感じずにはいられない(表向きの脚本はスパークスであるとはいえ)。とにかく私たちを挑発し、驚かせ続けるカラックスはしっかり健在だ。
カラックスは7月7日にカンヌの記者会見に参加した。記者からの質問もそろそろ終わりというところで、突然「戻ってくる」という言葉を残し、会場を立ち去った。場内唖然。会見中からタバコを取り出していたから、どうも一服しに行ったようである。どこまでも自由人の彼は、ついに記者の前に戻ってくることはなかった。(瑞)
劇場公開中。