東京生れのとし子さんは75歳。日系メーカーの仏支社に兄が勤めていたので、1969年に来仏。高度成長期に、駐在員や芸術家、料理店経営者、免税店で働く日系人が急増する中で、日本人会はパリ在住者の横のつながりを密にしていった。同会内の高齢会員のためにできたのがマロニエの会。故上野初代会長(料理店元経営者)を継ぎ、とし子さんがマロニエの会2代目会長に。
マロニエの会ができてもう何年ですか?
2000年創立ですから、もう20年になります。この会は、年をとっていく日本人滞仏者が定期的に集まってはお茶を飲んでおしゃべりしたり、昼食をしたり、気楽な交流の場として、孤独なパリ生活の中のオアシス的な心の支えとなっています。夏には菜園を持つメンバーの畑にバスで出向きバーベキューを楽しんだり、美術に詳しいメンバーが定期的に各地の美術館案内をしたり、様々な分野の専門家の講演会、5月には日本人会が希望祭という名で国際大学都市の日本館で古物即売会を開催。皆が隠し芸を披露し才気をふるうのが正月の新年会。4月のソー公園花見も欠かせません。これらの催しは全てボランティアのメンバーが組織し、会報誌「かわら版」には会員が投稿できます。でも21世紀初頭に60代だった人は80歳以上になっています。こちらで結婚し家庭を持つ人はいいのですが、帰国したくても家族も帰る家もない人もいます。会員同士、長年付き合っていると友愛関係が育ちます。定期的に顔を出す人が来なくなると互いに心配し、アパートに会いに行ったりし、自立生活が難しくなっていたために、ホームを探して手続きまでお世話したこともあります。老々介護のようになってきている現在、若い人を育てれば… という声もありますが、こういう活動はあくまでも自ら参加する気持ちがなければ続きません。どんなに長くいてもフランス社会を相手に暮らしていくことは簡単ではありません。住めば都と言いますが、フランスを第二の故郷として過ごせる人は恵まれていると思います。今はネットで日本の報道やテレビ番組も見ることもできますが、それは日本を外から見ているに過ぎません。異国で自分を見失わずに、母国語で通じ合える同胞の友人を持てることは大事ではないでしょうか。