Ferney-Voltaire ヴォルテールの城館へ(家のなかで旅。)

François-Marie Arouet dit Voltaire

 ジュネーヴに行く機会があれば、少なくとも1日は余裕を作って訪れたいのがフェルネ・ヴォルテール。フランスとスイスの国境近くで、フランスのアン県に位置する町だ。

ここにはヴォルテールが晩年20年を過ごした城館がある。長い修復工事が終わり2018年6月1日から一般公開されている。彼が自らを「ヨーロッパの旅籠主」と呼び、ヨーロッパ中の君子や知識人を集めて催した贅を尽くした宴会や哲学問答は、どんな場所で行われたのだろうか?『寛容論』や『哲学辞典』はどんな場所で書かれたのだろうか。

取材・文:小森浩子

ヴォルテール晩年の、執筆と哲学談義の場。
Château de Voltaire

ヴォルテールの城。ヨーロッパの君子、思想家などをもてなした。 ©Didier Plowy

 啓蒙思想家、哲学者として名高いヴォルテール(本名フランソワ=マリー・アルエ、1694-1778)はその反王権・反教会思想ゆえに、また歯に衣着せぬ物言いゆえに生涯出会ったほとんどの後援者・知人友人と仲違いしている。若い頃に政治犯として2度もバスティーユ監獄を経験しながらも詩人、劇作家としての名声を得てヴェルサイユ宮殿に出入りした時期もあったがルイ15世と全くそりが合わず、その後プロイセンに呼ばれてもフリードリヒ大王とも仲違いし、パリに入ることを禁止され、コルマールに短期滞在の後、ジュネーヴに一旦落ち着く。

ここでも数年するとカルヴァン派と険悪になり、引っ越し先として白羽の矢を立てたのがジュネーヴに近いフェルネ村である。パリともジュネーヴともプロイセンとも険悪なため、状況の変化に応じてどちらにも逃げられる場所、フランス領でありながらジュネーヴが目と鼻の先のフェルネの立地条件は当時のヴォルテールには最も好ましいものだった。

 1758年に古城を含む7ヘクタールの領地を買い取り、大工事の末1760年に引っ越した。彼が1759年に書いた『カンディード』の最後の場面で、カンディードが小さな地所を買い、農家で悠々自適の生活をする老人との会話によって、日々の仕事とその成果の中にささやかな幸せを見出すようになるのは、彼自身のフェルネの城や庭園作りを反映したものだろうと想像できる。城の外観は改装によってヴォルテール時代の明るい色を取り戻し、青い空に良く映える。18世紀の典型的なジュネーヴ地方の建築様式を踏襲した造りである。欧州各地からの訪問者が増えて手狭になったために1765年に建て増しされた両翼は、全体との釣り合いもよく調和が保たれている。

ヴォルテールの胸像に迎えられる待合の間。 ©Didier Plowy

 さて城内に入ると、1階の部屋はフランス庭園に面した大広間以外は壁布も家具調度もヴォルテール時代のままで、照明も当時の燭台に似せた暗い小さな光を使って当時の雰囲気を出している。玄関に、生前は犬猿の仲であったヴォルテールとルソーの像が並ぶのは啓蒙時代の両雄を共存させたい19世紀の城主の演出である。左手の控えの間は当時のままで、生前に贈られた白大理石の彼の胸像、彼が後援した時計職人作成の時計などが飾られている。訪問者はここで城主ヴォルテールの居室に招かれるのを待つ。

 続く大広間は城の模型を展示し、タッチボードで膨大な資料や著作を表示できるデジタル資料室に改装され、壁はヴォルテールが所有していた7000冊の蔵書の写真で飾られている。蔵書の実物はロシアのエカチェリーナ2世が彼の死後、相続人であるマダム・ドニから購入して現在サンクトぺテルブルク国立図書館にある。この大広間は元来2つの部屋に分かれていたもので、3分の2 が訪問者たちをもてなす大宴会場、残る3分の1は彼の書斎であった。自らを「ヨーロッパの旅籠主」と呼んだヴォルテールの催す宴会の料理や酒の豪華さは訪問客を通じて全欧に知られていたそうだ。膨大な蔵書は欄外や挟んだ栞などいたる所に彼自筆のメモ書きがあって、ヴォルテールがいかに本の虫であったか改めて得心する。

大広間。© Benjamin Gavaudo / Centre des monuments nationaux

 続いて彼が所蔵した絵画の間、ヴォルテール記念の間、天蓋付きベッドを置いた寝室が続く。

 その先はマダム・ドニの部屋で、繊細な装飾を施した白地のチェンバロの置かれた広間や、優雅なワードローブ、化粧室、化粧道具を配した寝室を見ると、城の日常を管理し訪問者をもてなす上で彼女がいかに重要な役割を果たしていたかが分かる。この寝室と螺旋階段の間に位置するのは女中部屋だったが、今は、現代の哲学者と学生たちがヴォルテールのテキストを語る映像を流して、ヴォルテールの生きた空間と現代の架け橋とする形で見学経路を締めくくっている。

 上の階はヴォルテールをテーマにした特別展会場で、訪問時はLa Henriade(アンリ4世の寛容を讃える叙事詩)の古書展を開催中だった。地下室は現在も改装工事中で次回はまた新しい発見があるかもしれない。

 さて、ヴォルテールはカンディードの最後のセリフ「私たちの庭を耕さねばならない」のごとく毎日庭木の世話をしたという。訪問客の証言によれば「子供たち(木々)を乳母任せにはできない」が口癖で自ら先頭に立って庭作りに励んだそうで、実はライバルのルソーに劣らぬ自然主義者であることが伺える。彼の植えさせた並木の小道を歩きながら彼の庭への愛着を感じ取るのは新鮮な感動でもある。

 敷地内にはその他に守衛館、オランジュリー(温室)、礼拝堂が建てられている。礼拝堂は元々フェルネ教区の教会であったものだが、ヴォルテールがフェルネのために新規に「聖母と聖アンデレ教会」を建てて教区の教会とし、古い方は彼の信念に基づいて「神」そのものを礼拝する場所とした。徹底的な反教会主義を貫きながら、絶対的で擬人化できない創造主としての神の存在は認める「理神主義者」の面目躍如と言える。

ヴォルテールが整備を指導した、フェルネ版「哲学の小道」。
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Château de Voltaire

Adresse : Allée du Château, Ferney-Voltaire
TEL : 04 50 40 53 21
URL : http://www.chateau-ferney-voltaire.fr/
4月~9月は10h-18h 10月~3月は10h-17h 入場料:8€/26歳未満無料 。ジュネーヴ・コルナヴァン駅から約8㎞。郊外電車15番線にて22分、バス66番で22分、バスF線で26分。 ジュネーヴ空港より約6㎞(車で7分)。バス66番にて10分ほど。

 

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