Q:ご連絡をいただいて、フードトラックで仕事をされているというのが面白いと思いました。本日はよろしくお願いいたします。
宮下:こちらこそ、よろしくお願いいたします。
Q:編集部の方へ送っていただいた文章によると、日本ではピエール・エルメさんのお店で働いていらした?
宮下:そうです。ただ、僕の料理との関係は山梨で始まっています。
Q:お生まれは?
宮下:東京です。20歳の頃僕は遊び歩いていて、たまたま六本木で西くん(ちょうどパリにいらして会談に同席してくださったベルリン在住の西川平兵ヒーペさん)に会ったんです。
西川:たまたま道で 。
宮下:それで「何やってるんだよ」みたいな話になって
Q:お二人は元々の知り合いではなくてたまたま出会った。
宮下:そうです。西くんは32歳だったのかな。僕らは12歳違いで同じ卯年だったんです。会った時に「山梨のビストロで働いているから遊びに来れば?」という感じの話をされて、それでそのあと遊びに行ったら「人が足りないから皿洗いしてくれる?」と言われた時から住み込みで2年間ぐらい山梨にいました(笑)。そうしたらその店のシェフが、 僕と同じ浅草出身でさらに卯年の方でした。
Q:偶然だらけ。当時44歳のシェフ、32歳の西くん、そして20歳の宮下さんが揃ったというわけですね。
宮下:いえ、そのシェフは西くんよりもふたまわり上でした。
Q:すると56歳?
宮下:そうです。とてもクラシックな料理を作るシェフでしたが、氷の彫刻で世界チャンピオンに2度なったような人で
西川:そうです、カナダでも入賞したり。
宮下:外国の人はチェーンソーなどを使うらしいですが、そのシェフはのみ一本しか使わない。とにかくクラシックで、芸術的な方でした。
Q:その方は今何を?
宮下:まだホテルの料理長として山梨で働かれています。
Q:ということは、宮下さんはもともと料理を目指してはいなかった?
宮下:違います。プラプラ遊んでいたんです、当時。
Q:それで西川さんに捕まった。
西川:僕は六本木でバーを経営していた友達の誕生日に彼の店でお酒を飲んでいたんです。午前2時ぐらいに閉店になるというので、もう一軒?と歩き始めたところでした。初めて会った時には30人ぐらいの若者の集団の中に翔くん(宮下さん)がいて声をかけた。