ジョルジェットさんは91歳。1915-20年、外交官だった父親はパリで仏女性(彼女の母)と出会い、結婚。そのあとイランやポーランド(兄が生まれる)など数カ国に駐在し帰任後、東京で弁護士として働く。ジョルジェットさんは1925年に東京で生まれる。彼女が10歳の時、父が乗馬中に落馬し死去。1936年に母と帰仏後カトリック校の中1に転入。大学で法学を専攻。
技師と結婚し、一男一女をもうける。兄は輸出入業を営み、数年前に亡くなった。ジョルジェットさんは兄と彼女の息子をたびたび混同するが、91歳とは思えないしゃきっとした容貌と話し方には感服してしまう。日本語に自信がないというのでフランス語でインタビュー。
お子さんを持ちながらお仕事の方は?
もちろん母に面倒をみてもらいました。1950〜60年代に富士フィルムや味の素などの大企業が、パリ支社を開設する際の設立準備やその後の業務などを任されました。バカラなどフランス製品の輸出にも携わりました。日本語は新たに東京で勉強しましたので、コミュニケーションは英語と日本語半々でした。とくに味の素には70歳まで勤務しました。今は毎日お手伝いさんが来てくれますが、水曜と金曜は老人ホームに行って、様々な活動に参加させてもらっています。
息子さんは弁護士、娘さんは医師ですね。
娘は医師と結婚し、ヌイイのある病院の主任医です。弁護士である息子は、数年前から日本語を勉強しており、父親の郷里、下関の家族とも会うようにしています。最近まで私が車を運転してお手伝いさんの送り迎えもしていたのですが、数カ月前に娘が私から車をとりあげてしまいました。私の歳を思えば何とも言えませんけどね。買物は息子がしてくれます。
ジョルジェットさんはご自分の中で日本人の部分を感じることがありますか。
日仏二重国籍を持っているからではなく、フランス人であると同じくらい日本人という感じがします。父が日本人だったということからか日仏二重の文化の豊かさを享受しています。少女時代に父と共有した東京でのクリスマスの思い出などとともに日本の情景が思い出されます。