ルイズ・正子さん(87歳)はトゥールーズ在住。06/07年に出版(未知谷社)された自伝2巻『ルイズが正子であった頃』『正子がルイズに戻った後』は、戦前・戦中の日仏家族の長崎、サイゴンでの生き様、軍国時代の混血児と村民の関係、彼女自身、子供6人を抱えての仏生活まで、痛快小気味よい筆致で描かれている。
母親(1895年生れ)は16歳で長崎の小村から天津に行き日本人疎開地で子守として働いた。27歳で、パテ映画会社の極東責任者ルピカール氏と出会い、仏領サイゴンに移り結婚、母親は42歳までに計10人の子宝に恵まれる。ルイズさんは10人の4番目。父親は1945年に戦死。
ルイズさんが9歳のとき母の郷里に行き、大東亜戦争に入り20歳になるまでサイゴンに戻れず、愛国少女ながらも東京、横浜の雙葉学園の寄宿舎に。ルイズさんは1948年サイゴンに戻った後、運転業のコルシカ人と結ばれ4人の子供を持つが、インドシナ戦争後、夫の郷里に引き揚げ、封建的風習が強いコルシカの姑の家に6カ月滞在。夫から養育費も来ず、それを機にアジャクシオに移転。子供手当も受けずにコブ付きシングルマザーの生活費稼ぎが始まる(妻は夫の許可なしには働けないし口座も持てなかった)。近所の洗濯物を子供と共に浴槽で足踏みして洗い、アイロンをかけ、自転車・リヤカーで子供の送迎途中に洗濯物を届け、汚れ物を回収。3年後駐屯の仏兵に見初められ、2人の子供を持ち、計6人を養う。が、夫の家庭内暴力のため10年後に離婚。夫のトゥールーズ勤務以来、ルイズさんはトゥールーズに落ち着き、日仏語の翻訳や日仏橋渡しの文化活動に励み、地方で活躍する日仏ハーフの高齢在住者に。
8月に会いに行った時、82年のオヴニーの求職欄のコピーを見せてくれた。「日仏ハーフ55歳。アルジェリアの日本企業の寮母兼料理人職求む。日仏ベトナム料理可Tel乞う」。雇われた日系企業で数人分の雑役と料理、味噌・醤油・豚肉などを3カ月毎に飛行機でトゥールーズに買い出しに。バイトのアルジェリア人青年に日本料理を教えるルイズさんの采配ぶりは豪快そのもの!
86年、アルツハイマー症の91歳の母を長崎からトゥールーズに迎え入れ97歳まで介護した。マンマ・ルイズは今もはち切れんばかり !