アルザスには月曜を除いて毎日発行されているドイツ語の新聞があるという。ミュルーズに本社を置く地方紙『L’Alsace』の別冊ドイツ語版だ。
「44年に創刊された時から『L’Alsace』紙は二カ国語で発行されていた」と言うのは、別冊の編集長シュウィンデンアマーさん。最初は一枚の紙の片面がフランス語、もう片方がドイツ語の紙面だった。それぞれの言語を赤と青の紙に分けて印刷した時期などを経て、最終的にフランス語版の別冊という形になった。
全8ページ。時事はもちろん科学記事やパズル、50年前の紙面の復刻版や、曜日によっては料理のレシピやシュウィンデンアマーさんの書く子供向けの推理小説が載ったりと盛り沢山。単なる「おまけ」ではなく、ひとつの読み物として楽しめる。しかし彼と、イタリアのドイツ語圏、チロル地方出身のペトラさんら、たった4人のチームでその紙面を埋めるのは大変なのだろう。「おかげで、遊ぶヒマもないさ」と編集長はこぼす。
別冊が付くと定期購読料より少し高くなる。ドイツ語を解さない読者は本編のみの安いほうを選ぶ。うがった見方をすれば、別冊の購読者数の推移からアルザス地方のドイツ語人口の実態が見えてくる。ドイツの統治下で教育を受けた読者の多かった1946年の発行部数はドイツ語版が6万4千部、フランス語版が2万6千部だった。「それが初めて半々になったのが1962年のこと」。地図の上の国境は政治家たちが鉛筆一本で変えられるが、戦後18年という歳月は、人々の日常言語の線引きがそう簡単にはいかないことを物語っている。ドーデの短編『最後の授業』は、普仏戦争の直後にフランス語での授業を突然禁じられたアルザスの小学校の1日を描いているが、その70年後には逆の光景も見られたのだろう。
現在3500人を数える定期購読者の中に、ドイツ統治下で教育を受けたネイティブ読者は、シュウィンデンアマーさんによると、「少なくとも2500人はいる」という。しかし、その数は年々減っているのも事実だ。
彼らに代わる読者層が、ドイツ語を学んでいる学生や生徒たちだ。シュウィンデンアマーさん自身もお祖母さんがドイツ人だが、大学でドイツ語を学び、教壇に立って教えたこともある。08年から10年にかけて、こうしたドイツ語学習者を獲得しようと、別冊の購読を無料にするキャンペーンを張った。
活字離れが進み、全国紙が読者の確保に苦戦している中で地方紙はよく持ちこたえている。それは多くの人にとって一番身近で重要な活字媒体だからだろう。またEU統合によって国境というものがなくなった今、ライン河を渡って両国の人々が頻繁に行き来している。彼らのドイツ語新聞の役割も今後変わっていくのかもしれない。「僕は楽観し続けるさ」というシュウィンデンアマーさんの言葉には、次の世代に向けた希望の匂いがする。
(浩&セ)