ー辞書専門の書店・出版社ー
〈言葉の迷路〉という表現があるが、その店はモンパルナス通りの喧そうを避けるように、映画館〈7 Parnassiens〉の建物を貫く細い通路の奥まったところにひっそりと立っていた。世界でも数少ない辞書専門の書店〈La Maison du Dictionnaire〉だ。
店内の壁を覆う棚には、アルファベットや漢字、キリル文字やヘブライ文字の背表紙が夕暮れの光を受けて並んでいた。編集部にもなっているカウンター越しの事務所の机の上には、見たこともない文字の『タンタン』。「アルメニア語よ」と説明してくれたのは社長のマリア・オネシさんだ。 オヴニー紙を見せて話を聞かせてほしいとお願いすると、「奇遇ね」と笑った。パリ大学で日本語・フランス語の翻訳を学ぶ娘さんが、9月から東京に留学するのだという。
この店で豊富なのは言語の種類だけではない。扱う分野も、子供向けの絵入りの国語辞典から、専門の翻訳家のための『軍事・兵器英仏・仏英辞典』などといったものまで幅広い。
お店ができたのはインターネットが普及するはるか前の1970年代のこと。外国から辞書を取り寄せるのに数カ月も要していた時代、専門家や学生が手軽に「仕事道具」を手に入れられるようにと、元書店主が創業した。マリアさんによると、そのころから事業の3本柱は〈書店〉、〈出版〉そして〈取り次ぎ〉。つまり辞書をただ売るだけでなく、自分たちの手で作って、国内や海外の書店にまで卸している、いわば「言葉の総合メーカー」というわけだ。取材をしていたときも、若い職員が編集部のモニターとにらめっこしながら、新たに出版されるロシア語の辞典のレイアウト作業にいそしんでいた。
「最近ではポケット版ばかりが売れて、400ページを越える大判のものは見向きもされない」という。インターネットや電子辞書の到来は辞書の世界にも大きな影響を及ぼした。だがそれでも翻訳や貿易のプロたちは紙の辞書を手にする。だから、マリアさんたちも手間をかけ、一冊一冊を世に送り出す。1年に刊行できるのは10~15タイトル。間違いのある辞書は信用されないので、念をいれて専門家に何度も校閲を頼まなくてはならないからだという。発行部数も1000から2000部がせいぜいだという。最近は刊行した辞書の電子化も進めている。「辞書は将来、本というよりも一つの大きなマルチメディアになる」というのが彼女のビジョンだ。
感動したのが、ベテラン翻訳家たちが長年蓄積してきた語彙(ごい)の数々をマリアさんたちの手をかりて辞書として出版し、後進たちに託していることだ。料理の世界でたとえていうなら、秘伝のレシピを広く公開するようなものだ。自分たちの携わる技術の向上のために労を惜しまない〈職人気質〉の結晶のような一冊を手にすると、ずっしりとした重さを感じた。(康)
La Maison du Dictionnaire
Adresse : 98 bd du Montparnasse, 75014 parisTEL : 01.4322.1293
URL : http://www.dicoland.com
月〜金10h-13h/14h-18h、土14h-18h。日休。