ノートルダム大聖堂と、セーヌ川をはさんで真向かいにある英語書籍の書店〈Shakespeare & Company〉は、ヘミングウェイ、フィッツジェラルド、ジョイスなどの作家たちが無名時代に常連だったこともあり、英米文学に親しんだ者にとっての聖地として歴史に名を残している。「ロストジェネレーション」の息吹を求めて毎日多くの観光客が訪れるが、どうやら単なる書店ではないようだ。
お店の歴史は、米国人シルビア・ビーチによって書店・貸し本屋として1919年に開業してから1941年ドイツ占領下で休業までの時代と、1951年にジョージ・ホイットマンによって再開されてからの二つの時代に分かれる。その間に店の場所も変わったが、今日でも貫かれているのが、無名の若手たちを育てるという精神だ。
ヘミングウェイは『移動祝祭日』でビーチ夫人のことを回想しているが、金に困っていた彼がちゃんと食べているか心配してくれたり、店の本を無料で好きなだけ貸してくれたという。資金を工面してジョイスの『ユリシーズ』を最初に出版したのも彼女だ。ボクシングの練習でケガでもしたのか、頭に包帯を巻いたヘミングウェイと映った写真があるが、彼女は腰に手を当て、口をへの字に結んで彼を見ている。さながら「肝っ玉かあさん」のような存在だったのかもしれない。
現在の店は、ジョージ・ホイットマンの娘シルビアさんに引き継がれている。彼女のフィアンセのダヴィッドさんに案内された店内や店の奥にはベッドがあちこちに置かれ、洗濯機が備えられている。店には作家や文学好きが常時6名ちかく寝泊りして、共同生活を送っている。
2階に掘立小屋のようなキャビネットがあったので何かときくと、「ひと晩泊まったら、自伝を一ページ書くことが決まりになっているんだ」という。すでに3万人が寝泊りし、3万ページの原稿が残された。現在、他の資料ともあわせて書店の歴史をまとめた本を編集している。
ベケット、ビートジェネレーションの詩人たち、ポール・オースター。戦後もこの店に足跡をのこした作家たちは数知れず、まさに英米文学の歴史を語る上ではなくてはならない存在となったが、ダヴィッドさんたちは「書店は記念館ではない」と、若い店員たちと常に新しい企画を展開している。賞金1万ユーロという新人文学賞やニューヨーク大学と共同講座を企画したり、〈Festival and Co〉というイベントでは隣の公園に大きなテントを立てて著名な作家たちが何日間にもわたる朗読のリレーをしたりしている。パリ市内でも週に4つも文章教室を開いている書店など聞いたことがない。
毎夜11時に店を閉めると、上の階で寝泊りしている若い書き手たちの机のランプが灯る。将来の英米文学のページは、寝静まった街の書店の奥で粛々と綴られていく。母国語の文学を作りながら、それを売る書店。「まるでかまどを持ったパン屋のようだ」というと、「そのたとえは面白いね」とダヴィッドさんは笑った。(康)
Shakespeare & Company : 37 rue de la Bûcherie 5e
01.4325.4093 www.shakespeareandcompany.com
10h-23h(土日は11h〜)。無休。
ここで寝泊まりしている作家が自伝を書く机。