アクロバット / アレクサンドル・トローネル
L’Acrobate
アクロバット 1976
ジャン=ダニエル・ポレ監督の『アクロバット』の主人公レオンは、タンゴを通じて自分の人生を一変させる。公衆浴場の掃除夫として働く彼は、ひどく内気で不器用な上に、容姿もさえない。自分に自信を持てない彼は、女性を誘惑することもできなければ、同僚に馬鹿にされても言い返すこともままならない。このレオンを演じるのはクロード・メルキ。サンドニ街の娼婦、フュメからも、「私にだってお客を選ぶ権利があるわ」とつれなくされる有様。さえない男の悲しさがにじみ出る。
そんな地味で悲しい人生を救ったのはジョルジュとロージーのタンゴ教室だった。この映画の中で自分自身の役を演じているこの老カップルは、レオンにダンスを、そして人生を教える。レオンの体はタンゴのステップを覚えるにつれて軽やかになり、精神もそれにともなうように解放されていく。仕事中、ほうきをダンスの相手に見立てて踊る彼からは、もう以前の臆病さは見受けられない。タンゴ好きな娼婦のフュメからもすっかり見直され、ふたりは手に手をとってコンクールへ挑むことになる。
ダンスのシーンはもちろん素晴らしいけれど、何よりも心に残るのは、タンゴの世界チャンピオンでもあったジョルジュによるナレーション。「私は長い間、たぶん、60年間、踊ってきた。毎日。それは、美しい。確かに、美しい。それは、美しい。確かに、美しい。踊ることを語ることは、愛を語ること。ステップや型を教えることはできても、愛がなければ意味がない」
ジョルジュとロージーが30年代に設立した教室(写真)は、今でもパリ7区、ヴァレンヌ通り20番地にある。(エ)
Alexandre Trauner (1906-1993)
美術監督アレクサンドル・トローネルは、ハンガリー出身のユダヤ人。レ・ザネ・フォル(狂乱の時代)の残り香漂う1929年に画家として渡仏したが、芸術仲間と交流するうち映画界に引き寄せられていった。ルネ・クレールの『巴里の屋根の下』(‘30)で、ロシア出身の美術監督ラザール・メールソンの助手として修業を開始。空間を歪ませた遠近法を利用するなど、視覚から〈詩的レアリスム〉を実践したメールソンの仕事に刺激を受ける。
一本立ちしたトローネルは、すぐにマルセル・カルネ作品で黄金時代を築く。セットを組んだ『北ホテル』(‘38)の安宿や、『夜の門』(‘46)のバルベス駅などで、映画における庶民的なパリのイメージを決定づけた。映画史の金字塔『天井桟敷の人々』(‘43)は撮影が大戦中であったため、ナチスの目を逃れ偽名で仕事をした。ニース近郊のR山荘から指示を出し、「犯罪大通り」ことパリのタンプル大通りを、遠近法を駆使した全長80メートルのオープンセットを組み立て、1830年代のパリを見事によみがえらせた。
ヌーヴェル・ヴァーグの監督が台頭し野外撮影の時代に移っても、トローネルは外国の巨匠たちから引く手あまただった。ビリー・ワイルダーの『あなただけ今晩は』(‘62)では、色彩鮮やかなレアール市場と娼婦街を、ハリウッドに丸ごと再現させた。晩年も精力的に活動。パリの地下が舞台であるリュック・ベッソンの『サブウェイ』(‘84)では、生涯三度目のセザール賞を受賞している。(瑞)
『北ホテル』のセットのコンテ。