サンカンタンを出たバスは、ゆるい起伏のある畑の中をひたすら走る。時おり寂しげな村を抜け、白っぽい牛の群れを見るけれど、どちらかというと退屈な行程だ。
ギュイーズの町へ入るとすぐにファミリステールの立派な建物が目に飛び込んで来る。低い街並を抜け町の南端の広場に到着。ここまで乗って来たのは4人だけだった。
理想が形になった働く人たちの宮殿、パレ・ソシアル。
ゴダンの像が立つ広場の奥の低層の建物に、ファミリステール見学の受付と売店がある。
ガイド付きの見学は、全体の立体模型地図が展示された受付奥からスタートする。
外に出たところで、ガイドのおじさんはまず、「この町はふつうギーズと呼ばれていますが、地元ではギュイーズと発音しています。はい、皆さんご一緒に」、一同声を揃えて「ギュイーズ!」……。
革命家カミーユ・デムーランが生まれた町ギュイーズは、GODINのストーブの成功で19世紀後半から繁栄し、約450戸のファミリステールには、1889年に1700人余りが暮らしていた。20世紀半ばには、町の総人口は16000人を超えていたけれど、電化製品の普及などでストーブの売れ行きが落ちたGODINとともに、ギュイーズの町の活気も衰えて、今は5200人ほどに減ってしまった。
広場に面した集合住宅はパレ・ソシアルと名付けられています。この3棟の建物は労働者住宅というより、歴史ある大学の校舎といった雰囲気。建物の背後には、オワーズの流れを挟んだ広い緑の公園が広がっています。
これらの大きな集合住宅は、GODINの会社から分離された今も、かなりの部分が住宅として使われている。広場西側の市街地にあるカンブレ棟は、民間のアパートとして分譲されているそう。パレ・ソシアル中央棟の一部と、右棟(向かって左側)のゴダンの居室部分などが改装され、公開されています。
先進的な集合住宅建築。
1864年に完成した中央棟に入ると、クラシックな外観に比べ、19世紀半ばの建築とは思えない大空間が広がっています。ガラス屋根で覆われ柔らかな光につつまれた中庭(クール)が、各階を巡る回廊に囲まれている。小さなタイルのグレーの床がきれいです。
2室から4室まで、家族構成に合わせた住戸すべてに、当時はまだ珍しかった上下水道が設置されている。外と中庭の両側に開かれた窓は、採光を考えて、下の階ほど徐々に天地のサイズが大きくなっています。
地下のカーヴから通じた換気システム、ダストシュート……、ここに住むすべての人々が、健康で快適な生活を送れるようにというゴダンの考えが、建物の細部まで行きわたっています。
1889年のパリ万博で開かれた国際労働者住宅大会で高く評価されたパレ・ソシアルは、その後の低廉住宅(HBM、後のHLM)事業の模範的な先駆となっている。
ガイドの解説は中庭まで。自由見学になる中央棟の展示は、ファミリステールの建築と生活、それにGODINの歴史についての資料が、すっきりしたデザインで並んでいる。
家族が増えて大きな部屋に移り、成長した子供が結婚して別の部屋へという変遷図がおもしろい。第1回の国際メーデーは1890年だったけれど、ここの労働祭は1867年に既に始まっていて今も続いています。
そして、創業以来の美しく黒光りするストーブ(poêle)と調理用ストーブ(cuisinière)の数々。ゴダンは、寒い北の人々に最も必要なものとして、堅牢(けんろう)で効率のいいストーブの生産を思いついたという。
事業家ゴダン、理想家ゴダン。
ゴダンはパレ・ソシアル右棟に住んでいた。ここには彼の生涯と思想に関する展示がある。
1817年、ギュイーズ近くの村の鍵職人の家に生まれたゴダンは、少年時代から父親の工房で働き、17歳からの3年間は金属職人のコンパニオン(中世から今も続く職人組合)のもとで、各地を回って修業する「トゥール・ド・フランス」を経験している。
劣悪な環境と待遇の中で、日曜もなく日に12時間以上も働く……。この経験が、ゴダンの働く人への共感となり、フーリエのユートピア社会主義思想に出会って、フーリエが提唱した共同体ファランステールを、自分の工場で実現していこうという決意につながった。
1846年にギュイーズに工場を造り、自ら考案した鋳鉄製ストーブの生産で大成功したゴダンはその利益を使って、ファミリステールの建設を実行する。1859年から80年にかけて集合住宅を建て、周りには、公園、劇場、小学校、売店、娯楽室、洗濯場など、住民の生活に必要な施設も造った。
今は市立になった小劇場と小学校は、パレ・ソシアルの向かい側にあります。
1882年に義務教育を実現したジュール・フェリーよりも20年近く前、1865年に開校したゴダンの学校は、当初から無料の義務教育で、ライシテ(宗教との分離)を実現していた。さらに驚愕(きょうがく)すべきことに、フェリーもできなかった男女共学を実施していたのです。
共同体による経営。
労働者の福利厚生を推進した家父長的な経営者は他にも多かった。しかし彼らと比べて、ゴダンが数段偉かったのは、ファミリステールの運営と会社経営のすべてを、住民のアソシアシオンによる協同組合に委ねたことです。
利益はそれぞれの役割に応じて公正に分配し、ゴダン自身は考案したストーブ類の特許料を受け取っていた。こういうゴダンの考えが理解できなかった最初の奥さんは早くに別居。長年パートナーとしてゴダンを支え、後に結婚したマリー・モレの胸像が学校の脇にある。マリーは、子供たちの教育部門を担当していたのです。
オワーズにかかる小さな橋を渡ると「ピッシーヌ」の建物。ここはプールというより、公共浴場と共同洗濯場です。
通りの向こうのGODINの工場は、今も操業中。1880年に発足した協同組合による会社経営は1968(!)年まで続き、以降は株式会社になっています。
受付の隣の食堂でひと休み。地ビールを飲んだ。ここでは軽い昼食も食べられます。
Familistère de Guise
月曜休館(7・8月は無休)。10h-18h。
8.5€/6€。ガイド付き(10h30、11h30、14h30、15h30、16h30)、または自由見学。
265 Familistère Aile Droite 03.2361.3536
ゴダン像とパレ・ソシアル正面。
ゴダンは国民議会の議員にもなった。
老人でも上りやすいよう配慮されたゴダンの階段。
パレ・ソシアルの裏には緑の庭が広がっている。
校庭の子供たち。中央の建物は劇場。
構内を流れるオワーズ川。市街にも分流がある。
今ではGODINのストーブは贅沢(ぜいたく)品です。
GODINの工場。現在は暖房機器会社の傘下に。