
12月22日、国民議会での「アルメニア人虐殺否定罪」法案可決に次いで1月23日、上院でも可決(賛成126 / 反対86)された。トルコでのアルメニア人虐殺を否定する意見を公言した者には禁固刑1年と罰金4万5千ユーロを科すもの。
同案は、アルメニア人が全国に約50万人いる中で一番多いブーシュ・デュ・ローヌ県出の与党UMP議員ヴァレリー・ボワイエが提出したもので、4月大統領選と6月総選挙への在仏アルメニア人票を計算に入れた立法(?)と勘ぐる向きも。
2001年にフランスはナチスのユダヤ人大虐殺を「ジェノサイド」と認定し、ユダヤ人虐殺否定罪(ゲソ法)が成立した。1915年から1917年にかけてのトルコでの100 〜150万人のアルメニア人虐殺に対しても、06年、国民議会で同一法案が可決されたが上院を通過しなかった。紆余曲折を経て10年後に初めて成立したわけである。
この立法に反対し国内外(ベルギー、ドイツ他)のトルコ人1万5千〜2万5千人が連日、両議会前に結集し「歴史は歴史家に ! 」と、フランス立法府のトルコ現代史への介入に怒る。トルコのエルドガン首相は、4年前にサルコジ大統領がトルコの欧州連合加盟に反対したことに根をもち、今回の議決を「人種差別 ! イスラム排斥主義 ! 」「フランスはアルジェリア独立まで現地人の15%を殺したのは虐殺ではないのか ! 」とフランスの過去を逆手にとる。トルコ政府は即刻、在仏トルコ大使を召還し、両国間の外交・軍事協定他、仏企業への発注(武器・原発他)を凍結させ、経済制裁の意志を表明し、2国間の関係が険悪化。トルコ市民もフランス製品のボイコット運動を開始した。
トルコでは、20世紀初頭オスマン帝国のアルメニア人は「ロシアと手を結ぶテロリスト、裏切り者」と教科書にも書かれており、トルコ兵との衝突でアルメニア人は約50万人死亡とし、「虐殺」を史実として認めない。トルコではこの言葉を使うと「基本的国益」に反するとして罰せられる。が、90年代以降、歴史研究家による資料・記録の掘り起こし作業や、アルメニア人2、3世による証言の書も徐々に国外で出版されているが、アルメニア系週刊誌『アゴス』(創立者ディンク氏は07年に暗殺死)のコプタス編集長は「フランスの法律は仏国内の市民に適用され、虐殺否定主義を貫くトルコには通用しない。トルコで適用されない限り意味がない」と語る(1/19付 Le Monde)。トルコでこの問題に関するタブーを破るには外部からの火付け役が必要という声と、逆に歴史研究への検閲が厳しくなるのではと危惧する声も。
アルメニア人避難民・亡命者(虐殺前にトルコに200万人いたが現在約6万人)を多く受け入れたフランスには、国民的歌手アズナヴールを始め、文化的にも同化している人が多い。在仏トルコ人約55万人は、とかくイスラム系移民ととられがちだ。彼らは、100年前のトルコでの事件をフランスが法律にまで組み込むことを理解できないよう。ニュールンベルグ裁判は、自殺したヒトラー以外の〈人類に反する犯罪〉の生存容疑者を裁いた。フランスは、シラク前大統領が、ヴィシー政府がナチスに協力したことを公式に認めたように、トルコ政府が自国の過去を直視し、公式謝罪への方向に向かうのを望んでいるのでは。(君)
