1980年、90年代のパリ、アフリカ大衆音楽のスターが次から次へと来演し、熱気ある音楽を聴かせてくれた。中でも1992年パリ市立劇場でのセザリア・エヴォラの舞台は忘れられない!
西アフリカの沖合に浮かぶカーボベルデ出身のエヴォラは、ロングドレスに大きなハンドバッグをぶら下げ、裸足で登場。舞台上の小テーブルには灰皿とコニャックの瓶とグラス。エヴォラは、一曲歌い終わるごとに、紙巻きタバコを一服し、コニャックをグビッとあおる。劇場側からの指示があったのか、舞台両袖の消防士は腕組みしたままだ。その瓶は、数曲後に空になるが、彼女はおもむろにバッグからもう
一本取り出した!「私が酒場でウイスキーを注文し男たちが陰口をたたいたりすると、ダブルを頼んで彼らを黙らせることにしている」とエヴォラは語ったことがある。『Miss Perfumado』からの名曲『Sodade』や『Angola』が歌われると「すごい!」という驚嘆が劇場内で大きな波となって伝わっていく。エヴォラの歌には、大洋の果てしない広がりを見ていると心の底からふつふつと浮上してくる哀愁、ポルトガルのファドの歌手たちが「サウダージ」と呼ぶ響きがある。エヴォラはそれを「ソダード、ソダード」と繰り返す。長年かけて熟成された、渋くまろやかな声の美しさ! その彼女が12月17日、島の病院で亡くなった。70歳だった。
セザリア・エヴォラは、1941年8月27日、カーボベルデ諸島に属するサン・ヴィセンテ島のミンデロ町の貧しい家庭に生まれる。母は料理人だがほとんど目が見えず、ギター弾きの父はセザリアが7歳の時に亡くなる。18歳くらいから、当時の恋人でギター弾きのエドゥアルドをバックに、酒場で歌い始める。カーボベルデで少しずつ人気が出てくるが、生活は一向に楽にならない。46歳の時に『La Diva aux pieds nus』というレコードを出す。1987年、フランス国鉄の機関士ジョゼ・ダ・シルヴァは、ポルトガルのリスボンで彼女の歌を聴いて大感動。貯金をはたいて彼女のプロデュースに乗り出す。そして1992年には『Miss Perfumado』が発売され、彼女は押しも押されぬ国際的スターに。
エヴォラには子供が4人いるが、それぞれ父親違い。「私はずっと自由で独身でいたかったので、一人の男と結婚して一緒に住むことは決してしなかった」。2010年に心臓の大手術をしてからは舞台から遠ざかっていた。「ファンたちに、ごめんなさい、と伝えてほしい。でも今は力がないし休まなければいけない、と」(真)