今回はブリュッセル特集。そこでタンタンとチャン、というかタンタンを生み出したエルジェとチャンの物語。1934年、エルジェはブリュッセルの美術学校に留学中の中国人チャンと出会う。どちらも27歳だった。チャンの話を聞きながら、『Lotus bleu 青い蓮』の構想がふくらんでゆく。『青い蓮』の看板や垂れ幕の漢字が正確なのは、チャンのおかげだという。
上海で暗躍する日本人ミツヒラトの悪事をあばこうとしていたタンタンは洪水で川で溺れかかっていた孤児チャンを救う。二人は大の親友になり、チャンはタンタンに助力する。そして事件解決後はチャンはアヘンと戦う中国の秘密結社「小龍会」の代表の養子となる。船で上海をたつタンタンとチャンの涙の別れ。そして実生活ではエルジェはチャンの行方がわからない。しかしエルジェの心からチャンは離れることがなかった。
1960年、『Tintin au Tibet タンタンチベットをゆく』という名作が生まれる。その冒頭、ホテルの食堂で居眠りをしていたタンタンが突然「チャン!」と叫ぶ。傷ついて雪に閉じ込められているチャンを夢見たのだ。その直後、新聞でチャンが飛行機事故で死亡したという記事を読むが、チャンが生きていることを疑わないタンタンは、ハドック船長とチベットに旅立つ。雪の山中で墜落した飛行機を見ても、タンタンの信念はゆるがない…ラストの再会。「チャン、絶対に再会できると思っていた」、「タンタン、どれだけ君のことをかんがえていたことか」
1981年、ベルギーのテレビ局の取り計らいで、今は著名な彫刻家となったチャンがベルギーにやってくる。そして約半世紀ぶりの再会が実現する。(真)