唯一確かなものは女の存在。”Indigene d’Eurasie”

 フランス西海岸の港に入ってくる船からのショットで始まる『Indigène d’Eurasie  ユーラシアの民』は、風景ショットが印象に残る映画だ。パリ、ヴィリニュス(リトアニア)、モスクワ、ポーランドの森、そしてまたパリから冒頭の港町へと…。それは、主人公の移動先を示す説明ショット以上に情景ショットだ。考えてみれば、リトアニア出身の監督、シャルナス・バルタスは、今まで台詞のほとんどない心象風景をつなげただけの作品を撮ってきた。本作は、彼が初めて挑む、物語がある映画だ。でも彼は決して言葉を映画の中心に置かない。目に映るもの、そこにいる人間の行動や表情が、我々の感情や感覚に何かを訴えかけてくる。
 美女が二人登場する。監督自らが演じる主人公、麻薬ディーラーのジェナの恋人でイタリア人のガブリエル(エリザ・セドゥナウル)と、モスクワでコールガールをするロシア娘のサシャ(クラヴィドゥリャ・コルシュノヴァ)。彼女はジェナの元愛人(?)。麻薬売買の裏には当然ながらロシアマフィアが潜む。金のもつれで、ヴィリニュスからモスクワに向かったジェナは、マフィアの親分を射殺、ついでに(?)サシャに絡んだ男といざこざになり、そこに現れた警官にも発砲してしまい、逃亡者として西への脱出を計る…。はっきりいって、一連のジェナの行動の動機はイマイチ不鮮明。鮮明なのは彼と相思相愛の二人の女の存在だ。彼にとって唯一確かなものは、たとえ裏切られようが女の存在なのかもしれない。ソ連崩壊後、混沌とした状況がつづく東ヨーロッパで、ただ本能的に生き延びようとして野垂れ死ぬ男の物語には、英語題名『Eastern Drift 東の流れ者』の方がピッタシ。ジェナが文字通り丸裸になって泣くシーンが強烈。 ( 吉 )