往年の自転車ロードレースのチャンピオン、ローラン・フィニョンが、8月31日パリの病院で亡くなった。50歳。
1960年、パリ18区に生まれる。父は自転車レースとは無縁の板金工だった。15歳で自転車レースに興味を持ち、翌年クラブに入る。めきめきと頭角を現し、1982年にプロ入りするまでにステージ優勝も含め50以上の勝利をおさめる。そして1983年のツール・ド・フランス。テレビに映る、インテリっぽい細い銀縁の眼鏡をかけ、長い金髪をなびかせ、アルプスの急坂を楽々と登っていくフィニョン選手の姿に、ファンの眼は釘付けになった。23歳で初優勝。翌年も優勝し、ベルナール・イノー選手の後継者誕生か、と期待されたが、その後は、けがなどで数年スランプが続く。そして1989年のツール・ド・フランス。完全復帰したフィニョン選手は米国のグレッグ・レモン選手とつばぜり合いの接戦となる。アルプスのステージでトップになり、3度目の優勝は決定的と思われたが、最終日シャンゼリゼ大通りでの個人タイムトライアルでレモン選手に破れ、8秒差で優勝を逸す。「これほど暴力的なできごとことは決して忘れられない」
1年程前に、消化器系のガンにかかっていることを公表してからも、治療の合間に、昨年、今年のツール・ド・フランスと、解説者として鋭いコメントをつけていたが、それも彼のガンに対する闘いの一つだったのだろう。「妻に起こされて、この知らせを聞きました。私にとって、フィニョン選手はこの30数年間を振り返ってみても偉大なロードレース選手の一人です」とかつてのライバル、レモン選手。(真)
写真:9月1日付パリジャン紙の表紙。